HOW WE WON THE WAR(その4)

 

「ライフ」1948年9月6日号、97~100ページからの翻訳です。機械翻訳を利用した個人的なものであり、よって誤訳の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

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HOW WE WON THE WAR AND LOST THE PEACE

 

Fortunate failure
アメリカ、そして中国にとって不幸なことに、トルーマン大統領はそのような指令を与えなかった。彼は極東については何も知らなかった。そして彼はマーシャル将軍に自分自身で指令を書くよう依頼した。中国の状況を知らないマーシャル将軍は、ソビエト連邦は「平和を愛する民主主義国」であり、中国共産党は「単なる農業の改革者であってモスクワとの関係はない」、という邪悪な茶番劇を信じて解説する国務省の関係者達に助言を求めた。そこで将軍は彼自身で指令を書いて大統領が署名し、中国国民政府と中国共産党に調停させることで内戦を終結するよう、彼自身に命じた。

 

国民政府が共産党との連立を余儀なくされた場合どのような結果が生じるのかを、理解していないアメリカ人は今日において極めて少数だ。その物語は、エストニアラトビアリトアニアポーランドルーマニアブルガリアユーゴスラビアアルバニアハンガリーチェコスロバキアにおいて、血と隷属と書き込まれている。しかしマーシャル将軍が中国に行った1945年12月、共産党との連携は、彼とトルーマン大統領には優れた名案に見えた。もしマーシャル将軍が任務に成功していたならば、今日、スターリンは、中央・東ヨーロッパ諸国を支配したように中国を支配していただろう。中国にもアメリカにも幸運なことにマーシャル将軍は失敗した。しかし将軍の信望は中国政府と素晴らしく調和したので、1945年12月22日に中国の首都に到着したにもかかわらず、1946年1月10日、彼は、共産党と停戦協定を締結するよう蒋介石総統を説得することができた。マーシャル将軍の意図とは極めて異なった意図で共産党は署名した。対日戦勝日には満州中国共産党の部隊は無かった。ソ連の計画は、(1)可能な限り多くの中国共産党を北支から満州に移動させ、赤軍が日本人から奪った装備と軍需品で武装させる。(2)武装した中国共産党軍が取って代わった場合に限り、赤軍満州から撤退する。

 

したがってマーシャルの停戦はソ連中国共産党に利益だった。しかし共産党は中国を征服しようとする意思を放棄するつもりはなく、1946年4月14日、満州で完全武装した共産党軍は、長春に対する攻撃によって停戦を破った。

 

素晴らしい威厳と精力を費やして、マーシャル将軍は停戦を回復し、共産主義者と中国政府の両方を彼の意志に従わせようと努力した。共産党ソ連政府から補給を受けていたため、マーシャルが彼らに圧力をかけることは困難だった。しかし彼は中国政府に圧力をかけることができた。中国は日本と8年間戦ってきたが、ほとんどの軍需工場は破壊されていた。中国はほぼ全面的に武器や軍需品をアメリカに依存していた。マーシャル将軍は蒋介石総統を彼の意志に従わせようとした際、論争だけでなく、米国の安全保障を損なう可能性があり、中国の安全保障を即座に損なう可能性がある、一種の圧力をも用いた。彼は中国政府軍への軍需品を削減した。中国において最良だったのは、日本人と戦っていた時にアメリカの訓練を受けた師団であった。1946年の初夏、共産主義者を中国政府の中に入れることを蒋介石大統領に強制するため、マーシャル将軍は国務省に、弾薬の輸出許可を与えることを拒絶させた。このように彼は中国政府がアメリカで軍需品を購入することを妨げた。これは秘密であったが、もはや秘密ではない。1948年2月20日、「それは実質的には軍事用品の禁輸措置であった」と陳述し、マーシャル自らそれを下院外交委員会に告白した。1946年の夏から1948年2月まで、我が海軍と海兵隊員が中国に残したいくらかの弾薬を除いて、中国軍はアメリカ製の機材のための薬莢や砲弾をひとつも受け取っていない。一方で中国共産党は、ソビエト政府から必要なすべてを受け取っており、広い範囲にはびこっていた。

 

Strictly dishonorable
航空分野では、マーシャル将軍の行動は中国と米国にさらに損害を与えていた。1946年9月、彼は「8と1/3の航空連隊」を維持するため、中国政府に航空機、交換部品を含むスペアパーツ、弾薬、そして地上でのサービスに必要な資材を3年間、引き渡すというアメリカ政府の契約を故意に破った。1946年9月から今年3月まで、この合意の下で戦闘機・爆撃機は一機たりとも中国に引き渡されていない。この問題でのアメリカ政府の行為はまさしく卑劣であった。マーシャル将軍にはその行為の責任があった。

 

致命的な危機に中国を置くマーシャル将軍の行動にもかかわらず、蒋介石総統は共産主義者を受け入れないだろう。彼は共産主義者が何であるかを知っていた、そしてマーシャル将軍は知らなかった・・その時は。一方、共産主義者は、停戦協定を破ってマーシャル将軍を怒らせた。結果、1947年1月に米国に戻って国務長官になったとき、彼は双方に等しく憤慨していた。中国政府が我々の側にあり、中国共産党スターリンの側にあるという事実に、彼は盲目だったようだ。極東に無知だったトルーマン大統領はマーシャル将軍の案内に盲目的に従い、極東の政策は知識のない人が無知な人を指導する状態になった。

 

共産主義による中国の征服は、共産主義による日本の征服をも必然的に伴うであろうことから、門戸開放主義で覆われたアメリカ人の不可欠の利益にとって、これは著しく危険であった。中国は極東全体の鍵である。共産主義による中国支配はインドネシアでの共産党の勝利をすみやかに招くだろうし、タイとマレー半島において共産主義による征服がほぼ必然的に続くであろう。このようにスターリンがアジアの東海岸を支配し、日本とアジア大陸の間に鉄のカーテンを置いたとすれば、食糧や原材料だけでなく製品の市場にもアジア大陸に依存している日本は、ソビエトの衛星国になり鉄のカーテンの下を潜り抜ける他、経済活動を維持する方法はない。共産党が中国を征服するのを許しながら、自活できる民主主義の日本を設立しようとすることは、それゆえに、自滅的な極東政策である。