英仏露の支援協定(その3)

 

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Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.248~)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 5, 1939–10 p.m.
[Received May 5–9:45 p.m.]

大統領、国務長官へ。
ケネディ大使の承認を得て、私はロンドンのロバート・ヴァンシタートに今晩電話をかけた。ソビエトの今後の政策について彼は強い懸念を抱いていた。リトビノフの解任が、欧州問題における積極的利害からの離脱や、孤立政策を採用する前兆となることを恐れていた。そのようなソビエト政策の転換は東欧とバルカンにおけるヒトラーへの抵抗を確実に崩壊させ、その結果は全ヨーロッパや全世界にとって極めて重大である。

私はヴァンシタートに、ヒトラーチェコスロバキアに侵攻して以来、イギリス政府が相対してソビエトを悩ませてきた時間稼ぎのほとんど無礼な政策によって、スターリンによるリトビノフの解任が引き起こされたと感じただろうかと尋ねた。彼はイギリスの政策がスターリンの態度の一因になったかもしれないことを懸念したけれども、どのような代替案をソビエト政府に提示することができるかわからなかった、と述べた。

イギリスはなぜ、ソビエト政府が受け入れる意向を示したフランスの提案を受け入れることを拒否したのかと尋ねた。フランスの提案は何も知らないとヴァンシタートは答えた。私は驚き、彼はフランスの提案はまだ英国政府に何も届いていないと述べた。

彼の親しい友人、レジェとダラディエが、イギリスのソビエトへの提案は決して受け入れられないであろうと感じていたことを、私は確かに知っていたと答えた。彼らはそれを無分別であり、フランスとイギリスとの協力政策からソビエトを意図的に遠ざけると考えていたし、フランス政府はその見解を英国政府に表明し、建設的な反対提案をしたと私は確信していた。(以下省略)

 

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.251-252)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 8, 1939–8 p.m.
[Received May 8–5:07 p.m.]
ソビエトの駐ベルリン大使がフランスの駐ベルリン大使に、リトビノフの解任はソビエト外交政策に何らの変化をもたらさないであろうことを正式に伝えた、とボネは本日午後に語った。イギリス政府はソビエトの政策に変化はないだろうと公式に知らされていた。先週木曜日にソビエトの駐パリ大使は同じ言明をなした。

ソビエト連邦になんらかの保証を与えることを嫌がったので、フランスのソビエトへの提案を受け入れることにイギリス政府は今なお反対していたと、エリック・フィップス卿が今夜知らせてきたとボネは語った。それにもかかわらず、イギリスの駐モスクワ大使は、本日モロトフにイギリスの最新の提案を提示しており、もしロシアが最初にポーランドルーマニアへの支援を約束すればイギリス政府は英ソ間の直接の保証を検討するであろう、と述べるように指示を受けている。

その後ボネは、彼に言わせれば、ロシアの約束に全く信用を抱いておらず、ドイツからの攻撃が起こった場合に、ポーランドルーマニア・トルコに支援することをソビエトが約束すべきとしても、その支援は(即座ではなく)やがて来たるものになるだろうと疑った。したがって現在のフランスの政策はダラディエとレジェのものであり、彼自身のものではないことを再び明確にする。

将来のロシア政策の問題について、私がモスクワ大使だった時に最も信頼できると判断していた情報源から、楽観的な解釈を本日受け取った。この解釈は次のとおり。スターリンはこれまでになく反ユダヤ主義だ。昨年の粛清以来、共産党政治局の支配的メンバーは、ジダーノフ、アンドレーエフ、モロトフであって、彼らは極めて反ユダヤ的である。彼らはかねてからソビエト連邦の対外関係をユダヤ人の手から奪いたいと望んでいた。リトビノフがイギリスとの合意に至らなかったことは、リトビノフと彼に親密なユダヤ人協力者とを取り除く素晴らしい機会を提供した。ソビエト外交政策は変わることがないだろうし、これまで協議が行われてきたリトビノフよりもモロトフと合意に至ることは容易であると判明するかもしれない。

 

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.254-255)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 16, 1939–8 p.m.
[Received May 16—6:43 p.m.]

イギリスの提案を拒否するソビエト政府の文書テキストを、今晩ダラディエは私に渡した。
ソビエト政府は、ソビエトへの互恵的な保証を何ら提案しなかったため、イギリスの提案は議論の基礎にもならなかったとの立場を取った。

ソビエト政府は、互恵的な保証が欠けており、ポーランドルーマニアについての英仏の義務が限定されているので、ドイツの侵略がバルト諸国を経由して対ソビエトに転じる可能性があると指摘した。唯一の合意の基礎としてソビエト政府は提案した。ソビエト・イギリス・フランスの完全な相互保証。フィンランドエストニアラトビアポーランドルーマニアのための保証と、現実に約束した支援をなすための英・仏・ソ連間の軍事会談と合意。
ダラディエはこのロシアの文書にコメントして、フランス政府はフランスの考えを主張し、もって英・仏・ソ連間の議論の基礎が作られることを主張したいとハリファックス卿に述べるよう、フランスの駐ロンドン大使、チャールズ・コービンに昨日命じたと述べた。
ダラディエは、もはやソビエトがフランスの提案を受け入れるとは確信できないと付け加えた。ソビエトはそれを受け入れる準備ができていたし、ポーランドルーマニアの保証にバルト諸国を追加する可能性は無かった。イギリスがしたことは、ぐずぐずした冷淡な提案でロシアの言葉をより頑強にしただけであったと彼は感じた。
彼に言わせると、バルト諸国を保証することはさほど不服だと考えなかった。もしドイツがバルト諸国を侵略すれば、ポーランドはそれらへの支援を余儀なくされることが明らかだった。したがってバルト諸国についての保証は、ほとんどフランスの義務を増大させないであろう。彼はロシアの提案は受け入れられるべきであると感じる傾向があったとはいえ、フランスの元来の提案についてロシアとイギリスの受諾を得ることを好むであろう。

ダラディエは、東方におけるドイツの侵略に対する抵抗政策が採択されたので、そのような方針の政策を効果的かつ成功させるために必要な手段が不可欠であると続けて述べた。ソビエト連邦に関して、彼は私が抱いたほどには幻想を抱いていなかった。ソビエト政府は、彼の内閣を倒すためにあらゆることを行っていた。それにもかかわらず彼はロシアを組合わせることが必須であると信じていた。十分な力の組み合わせの構築だけが戦争の危険からヒトラーを思いとどまらせることができる。

ダラディエは、ポーランド国境へのドイツ軍の不穏な動きについて、今日報告を受けていると付け加えた。これが近い将来の攻撃の予兆であるかどうか彼にはわからなかった。少なくとも数週間、ドイツは脅迫によってポーランドの士気を崩壊させようとするだろうし、六月末まで平和であろうとの推測に彼は傾いていた。だが彼は全体として楽観的ではなかった。