Memoirs

 

アーサー・クロック

……一九四〇年の初め、三つの反政府グループが日本に対する三つの対立する政策を要請していた。ひとつのグループは、日本を直ちに攻撃せよ、われわれは日本を粉砕してみせるといった。もひとつのグループは、日本はアメリカと戦争などできるはずがないからという論拠から、全部”凍結”してしまえといきまいた。第三のグループは、日本はどこの国とも戦争する気づかいはないから”限定凍結”をすべきであると要望した。

……イッキーズ長官が、ソ連援助のため二隻の油送船をウラジオストクに回航したと発表したとき、日本における戦争屋たちは、一般大衆の反米感情を扇るため、この声明を全面的に利用した。交戦的な連中は、灯火用の油やガソリンなどをとめて、家の中を真暗にしてしまい、普通の輸送用の燃料に木炭を使わせるようになった。「これがアメリカの君たちに対する仕打ちである。そのくせ一方ではソ連武装してやり、われわれをひぼしにするつもりなのだ」と彼らはいった。

……日本を攻撃しろと要求する連中は、イギリスを助けるため大西洋へ派遣し(西海岸にも)、あるいは派遣すべきアメリカ海軍の配備については、ハルが知っているほどには、全く知らないのだ。その戦力が太平洋に維持されているにしても、”独力”で日本を攻撃することはできないのである。残余のものだけで、フィリピンを防衛しろといってもとても無理な話である。日本が仏印に進駐し、マラヤとタイをうかがう用意にかかる前に、ハルに要請された「強硬」方針を彼がとれなかった真の理由も実はここにあったのである。
……陸軍も、海軍も、イギリスも、オーストラリアも、五月に始まった日本との会談を通じて、ハルに向っていつも、決裂はなんとしても避けるように要望し続けていた。彼らは、なににもまして時をかせぎたいと話していた。彼はこういった陳情を背景に交渉を進めていたのである。

(八木勇訳『回想 目撃してきたアメリカ史』 p.234-235)

 

 

 

ルーズベルトの非公式発言 1941年7月24日

Now, if we cut the oil off, they probably would have gone down to the Dutch East Indies a year ago, and you would have had war.

Therefore, there was―you might call―a method in letting this oil go to Japan, with the hope―and it has worked for two years―of keeping war out of the South Pacific for our own good, for the good of the defense of Great Britain, and the freedom of the seas.

American Diplomacy in the Far East; | Hathi Trust Digital Library 1941のp.140

 

もしアメリカが石油を絶っていたら、日本はおそらく一年前に蘭領インドに赴き、アメリカは日本と戦争したであろう。アメリカは自己の利益のため、イギリス防衛のため、海洋自由のため、南太平洋から戦争を締め出す希望をもって、日本に石油を供給した。それは過去二年間役に立った。

(オンラインにあった翻訳をお借りしました)