Another View of Japan

歴史問題の反論に使える・・かもしれない、資料を集めるブログです。

外交政策と和平

 

1941年3月15日付。ラフリン・カリーからルーズベルト宛ての報告書から一部を翻訳しました。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

Foreign relations of the United States ... 1941 v.4.| HathiTrust Digital Library p.90-92

 

 

 

XI—Foreign Policy and Peace.
蒋介石総統は、アメリカとソビエト連邦との関係がより緊密になることへの希望を表明した。彼の見解として、ロシア人は外交によって影響を受けたり意見を動かされることはないけれども、自分の利益に関して真剣に欲しい物があれば、彼らは通常それを手に入れる方法を見つける、と彼は示した。ロシア人はドイツとの必然的な衝突のために準備しており、アメリカの科学技術を必要としていると彼は感じた。したがって、ロシアはアメリカとのより緊密な関係を確保する努力をするであろう。

 

中国とロシアとの関係について、私は蒋と孫科から興味深い付帯的な情報を受けた。共産主義者孫文の中国での三民主義の訴えを制限することで、孫文とレーニンは合意に達した、と蒋は語った。その時以来、特に1935年以来、国民政府に対するロシアの態度は念入りに礼儀にかなっていた。ソビエト政府は皖南事変を純然たる内政問題とみなすことを明らかにした。だが彼はソビエト政府と第三インターナショナルとを鋭く区別し、後者が中国共産党の方針を決定していると主張する。ソビエト政府は単独で、日本と戦う目的のために多くの援助を提供したが、非軍事目的には一銭も提供していないと彼は述べた。

 

ロシア特使として務めている孫科は、1937年初期にロシア大使が、その後に相互援助条約を伴うであろう不可侵条約を提案したと述べた。中国政府はこの提案を利用しなかった。日本の侵略の後、孫科は相互援助条約案を復活させるためモスクワに派遣された。スターリンは彼に状況が全面的に変わったことを告げた。相互援助条約の本質は侵略を防止するためであったが今や侵略が発生し、そのような条約の締結はロシアが日本に宣戦布告するも同然であろうし、そしてロシアは行動する準備ができていない。とはいえ彼は不可侵条約を締結し、融資を行う準備ができていた。それからスターリンは、国連連盟に問題を提起するように、そして、もし連盟の主要な列強が経済制裁を用いる準備ができているならロシアは軍事制裁を適用するだろう、と彼に告げた。1938年6月、ロシアは与信枠を5千万ドルに拡張し、これは9月に5千万ドルがさらに追加された。この1億ドルは、1000機の航空機、航空スタッフ、野戦砲やマシンガンを獲得する目的に大部分が使用された。1939年9月に1億5千万ドルに達した最後の与信のうち、相当な金額がまだ消費されていない。

 

ソ連政府と中国共産党との関係について、スターリンは、国民政府と中国共産党との紛争は純粋に内政問題と考えていると述べた。1935年と1936年に、スターリン中国共産党に、国民政府との統一戦線を作り日本に対抗して備えることを力説した。彼は以前からずっと、ロシア型の共産主義について、中国は準備ができていないか賛成しないと考えていた。スターリンは中国内に領土的野心を持っていないこと、そして国民政府が外モンゴルで適切な権限を主張する立場になれば、すぐさまロシア人は外モンゴルの後見を手放すであろうことを、孫科に保証した。1935年のいつ頃か、日本人の傀儡になる準備ができているイスラム教徒の指導者との対立において、中国の軍服を着た2個師団の形式で、ロシア人は新疆の中国人指導者を支援した。これは国民政府を除いて、ロシアが取引をした唯一の機会だった。第三インターナショナルは現在かなり不活発であると孫科は確信していた。蒋は、日本人はいつも、どのような弱さの兆候でも利用しようとし、決然とした挙動に遭遇した時には手を引くという見方の熱心な支持者であった。アメリカが極東に適切な基地を持っていれば、日本の南方への行動の危険はないであろうと彼は確信していた。彼はグアムの強化を熱心に提案し、もちろん中国から日本への爆撃による抑止効果を大いに強調した。日本で訓練を受けたことがあったり日本人を知っていると主張する者は皆、日本はあえて蘭領東インドを占領するよりも先にシンガポールに着手するだろうし、それはインドシナ半島とタイにおける彼らの立場を強化して空軍基地と供給基地を建設してからであろう、と理路整然と話した。

 

和平または宥和政策に関しては、私は他人を介さずに直接聞いた事柄はない。通訳を務め、私と親密になった情報担当副大臣の董顕光は、「戦争にうんざりしていた」人々が政府にいたが、その線に沿って敢えて蒋介石と話をした者はいない、と私に語った。蒋介石自身は、どれほど魅力的な申し出であろうとも、日本と別個の和平をなすことはないと私に保証した。彼が参加する唯一の和平は、アメリカ人の招集の下で、アメリカ、英国、ソビエト、中国、日本によって取り決められたものになるであろう。和平の主目的は100年の平和でなければならない。彼はこの目的[結末]を達成するため、報復的ではなく寛大であるよう準備ができていた。挿話として、彼が各将軍に示す彫刻された儀式用の短剣が、このようなものを動かす処世訓であることを述べるだろう。「中国の領土が外国の支配下にある限り、軍人ににとって恥辱である」。

 

私はアメリカからのわずかな気配りと配慮に即応して、蒋介石を保持することができると思う。アメリカに対する彼の態度には、感情と利己主義が部分的に混ざっている。彼は熱烈にアメリカを、そしてとりわけあなたを賞賛する。対等ないし同盟国として扱われることは彼にとって大きな意味を持つであろう。私が到着する少し前、彼はクラーク・カーに、イギリスは中国を同盟国として扱ったことがなく、トルコに与えられた待遇でさえ中国には与えられていないと非難した。中国が民主主義国の共同の世界闘争に参加することで、中国が「民主主義」とみなされることを彼は最も懸念している。利己主義の観点から、彼は戦後復興の大事業においてアメリカの援助にほとんど全面的に頼っている。彼はこの話題に何度も戻った。彼はイギリス人に対してより強く憤る。

 

物質的な援助を与えることに加えて、中国について良いことを言うように尽力することと、現在イギリスに使われているのと同じ表現で中国に話すことが最も重要だと思う。また、心に留めておくべきこととして、戦後解決において上海国際租界の権益を放棄することは、中国の親善を劇的に向上させるであろう。蒋は条約港に深く憤慨する。


この見出しの下、もう1つの話題に言及できよう。中国行きの貨物を運ぶ船舶への封鎖を拡大するため、日本が交戦権を発動するかもしれないことを蒋は恐れている。そのような状況において、あなたがそのような権利を認めないこと、あなたが日本への禁輸を準備しようとすること、輸送のために中国に護送船団を供給すること、を彼は希望する。この問題は私の職分の範囲外であるけれども、日本が交戦権を発動するならアメリカは可能な報復措置を検討するであろうという趣旨の、賢明な「リーク」には有益な抑止効果があるであろうことを思いついた。この可能性はまた、インドとラングーンへの物質輸送の集中が望ましいことを示唆する。