ソビエトと世界革命(その1)

 

ソ連大使ウィリアム・C・ブリットの、1935年7月19日付報告書の翻訳です。

Foreign relations of the United States.... | Hathi Trust Digital Library(p.224~227)

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

なお当報告書は、部分訳として過去に触れたことがあります。

合衆国とソビエト - Another View of Japan

 

 

The Ambassador in the Soviet Union (Bullitt) to the Secretary of State
Moscow, July 19, 1935.
[Received August 2.]

 

拝啓:報告できることを光栄に思う。予定されたコミンテルンの会議は過去2週間、クレムリンに猛烈な議論を引き起こし、スターリンと政治局長、軍事補佐官によって、世界情勢におけるソビエト連邦の立場の全体について、議論がなされた。

 

私はこれらの議論の内容に関して信頼できる情報を持っていないけれども、私は過去数か月にソビエト連邦の指導者達と数々の会談をしてきたので、ソビエトの現在および将来の政策について、私が到達した結論に、国務省は関心を持つかもしれないと思いついた。

 

フランスが今、大事にしている気休めの確信とは対照的に、世界革命を引き起こすというソビエト政府の決定は衰えてこなかったというのが私の確信である。友好国家との外交関係は、通常の友好関係ではなく”停戦”の関係としてソビエト政府はみなしている。そしてこの”停戦”は、どうあっても決定的な平和によって終結されることはなく、闘争が更新されるにすぎない、というのがソ連の指導者たちの信念である。ソビエト連邦は現時点では、あらゆる方面で平和を心から望んでいるが、この平和は、将来の戦争が準備されるであろう幸せな休息期間として見なされているにすぎない。


もしソビエト政府のこの根本原理が理解されれば、ソビエトの内外政策について不明瞭なものはほとんど存在しない。

 

私は、ソビエト政府は世界革命の考えを放棄したとの多くの報告を国務省が受け取ったに違いないと感じており、私が前述した確信は根拠が薄弱であるように見えるかもしれない。私自身の観察が、異議なく、私の陳述の正確さを私に確信させたとしか言いようがない。私は、世界革命の必要性についての信念を表明してこなかったソ連の指導者の一人と、まだ会話をしていない。

 

たとえば数日前の晩、カール・ラデックに、彼の共産主義の友人達がコミンテルンの会合で、リトビノフによる大統領への誓約を破るような振る舞い・・そのような振る舞いはわが国との間の外交関係の継続を不可能にする・・をしないことを期待している、と私は述べた。ラディックはぱっと立ち上がり最も激しい怒りで叫んだ。「我々はこれまでアメリカ無しに暮らしてきたし、将来もアメリカ無しに暮らし続けることができる。我々がモスクワで何をすべきかを指示することは、あなたや他の誰であっても我々は決して許さないだろう」。彼が出発するにあたり、ラデックの発言を耳にしたボリシェヴィキの古老の一人、Mikhailskyは「世界革命は私たちの宗教であることを理解しなければならない。もし我々が彼は世界革命の主張を放棄していると感じたすれば、我々は皆、突き詰めるとスターリン自身すら、厳しく責めたてるだろう」と語った。

 

暴力的ではないけれども、この手の会話を、私は数多くしてきたので、世界革命についてのソビエト政府の現在の抑制は、この目標の放棄を意味するのではなく、単に戦術的な政策であると確信している。「いったん退いて好機を待つ」

 

したがって、ソビエト連邦は防衛に有利な立場にあるが、攻撃する立場にはなく、何年もの間攻撃する立場にならないであろう。ソビエト連邦の現在の兵力は、ソビエト政府の見解では、1930年代末に実現するであろうソビエト連邦の兵力に比べて弱い。よって、不可避であるとみなされている紛争を延期するため可能なことはすべて実行されている。まったく鉄壁の攻撃をなすため、そしてスターリンが望んだならすぐに海外に介入できるように、ソビエト連邦の兵力が構築されるまでは、あらゆるところと平和を維持することがソビエト外務省の第一の目的である。