ヒトラーの説明による独ソ戦の開始

 

Documents on German Foreign Policy - Series D - Volume XII - February 1 - June 22 1941.  Internet Archive 1002頁後半から1004頁中盤にかけての翻訳です。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

1941年6月13日付の文書

 

総統は次のように状況の詳細を要約した。
1.バルカンへの進駐を妨害したため、スターリンはドイツを決して許さないだろう。
2.ソ連は、ドイツとロシアの国境に軍隊を集中させることによって、ドイツが自国軍を自由に配置することを阻止しようとするだろうし、従って兆候から戦争へと向かうことが明らかだ。ロシアはドイツに時間を無駄にさせ、イギリスとロシアのために時間を稼ぐことを欲した。
3.欧州における更なる拡大の主要な障害とみなす国・ドイツを攻撃する、類い稀な歴史的な好機として、ソビエトはいかなる弱化でも利用するであろう。さらにスターリンは彼の態度によって日本軍を動けなくさせており、かくして日本がアメリカに対して全重圧をかけることを妨げた。
4.イギリス人を元気づけるため、ソ連は、抵抗するであろうと、そして欧州に強力な大陸同盟国の期待をアメリカに与えようと、その態度で努力していた。ロシアはとりわけ、1941年に戦争になることを隠すことができると期待していた。もしそれが事実であってはならないとすれば、ロシアは状況から必要な結論を引き出すことを決断した。

ユーゴスラビアに対するドイツの介入の数日前に、ユーゴスラビアとよく知られている条約を締結することによって、スターリンはこの態度の証拠を初めて示した。表面上はこの条約は理論的で友愛的であった。実際にそれはユーゴスラビアの抵抗を強化し、さらには、ユーゴスラビアに武器と弾薬を供給するというロシアの約束によって補足された。この実行されつつあった約束を妨げたのはドイツの侵攻の迅速さだけであった。

バルカン半島の戦争の成果は、スターリンがイギリスとより緊密な関係を確立したという結果をもたらしたことだった。そのときスタッフォード・クリップスがロンドンにいたのはこの目的のために働くためであったと、ドイツは確信した。
この状況は、ドイツにとって次のような結果をもたらした。
1.ロシア軍の動きと足並みを合わせて、以前はごくわずかな軍隊を維持していた東部戦線を強化するようにドイツは強いられた。ドイツは特に、ドイツ空軍の精鋭部隊を東に移動することで、自国を守ることを余儀なくされた。実際これらの部隊はイギリスに対する攻撃のためのものであった。
2.総統は、このような状況では、西側で攻撃を行う責任を負うことができないと感じていた。そのような攻撃は、ドイツ空軍全体が攻撃に専念できる場合にのみ、成功が保証された。
3.東方の新たな可能性とそれが暗示するあらゆる結果が、そろそろドイツ軍に広まってきた。ドイツは特定の状況でイニシアティブを奪われる可能性があるという点で厄介な状況にあり、そのためドイツは攻撃が起こった時にはそれを受け流すことを強いられる。これは軍事的に耐えられない。
しかしながら最大の危険は、1941年のうちに(1942年まで)戦争が決定されるに至らなかったとすると、ロシアが物質的な強さを増すことの他に、イギリスもまた物資を積み上げるかもしれない可能性にある。ロシアの部隊の、ドイツ東部の国境への移動に関する限り、この数週間で状況は大きく悪化してきた。ドイツもまたより多くの数の部隊を東部に派遣することを強いられ、彼らの有益な活動の効果を損ない、訓練をさえぎって恒久的な警戒状態に置き続けることになる。

部隊の集中というこの結果は、ドイツはなんらの理由を与えられていない。現在ドイツは防衛策を採るため遅まきながら試みなければならない。それを怠ることは政治的あるいは経済的に正当化することができない。このようにして国境の両側に部隊の集中が起こったことは明白であった。このような状況は緊張と紛争の可能性で満たされていた。いまにも爆発が起こるかもしれない。

ドイツ国民の総統かつドイツ国防軍最高司令官として、彼はその状況で準備を確実にするためあらゆる手段を採っていた。ドイツ国とその同盟国の将来を脅かす可能性のあるサプライズを排除するため、その最前線として彼はルーマニアも計算に入れていた。万一この衝突が起こったならば欧州の運命が危機に晒されることは明らかだった。

しかしながら、イギリス人の慣習とは対照的に、総統は決してイオン・アントネスクに助けを求めなかった。もしドイツが、先に言及した措置を講じることを強いられなければならないならば、ドイツ国防軍は歴史の上でいつも存在していたこの上ない装備を持つだろうし、確かに有利な決定を通じて戦うことだろう。総統がルーマニアに期待していたのは単に、ルーマニア自身の利益の範囲でこの紛争の成功を容易にするためすべてをやることである。紛争後にルーマニアが補償を受けることになっても、ドイツに関する限り、領土的な制限はないと、総統は今でもアントネスクに保証することができる。

この説明に続き、総統は地図の助けを借りて、フィンランドからルーマニア国境まで、個々の防衛区域それぞれのロシアの結集を説明した。(以下省略)