真珠湾:ルーズベルトの9/11(その6・完結)

 

ジェームス・パーロフ Pearl Harbor: Roosevelt’s 9/11 | James Perloff の翻訳です。
機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

Congress Enters the Act
たった一つの障害が依然として真珠湾を葬っていた。議会は独自調査の実施について長いこと騒いだ。 戦争が終わり、議会は確かに調査を実施した。


あらゆる脅威の芽を摘むために政府は暗号資料の開示を禁止する法案を下院と上院に送った。法案は上院によって直ちに通過したが、議員はマジックを聞いたことがなく、法案がやがて来る調査を行き詰らせるとはわからなかった。

 

キンメル提督はこの法案についての記事を読んだ。キンメルと彼の弁護士は、法案の裏の意味ついて報道機関や議員に知らせた。その結果下院は法案を否決し、上院はそれを撤廃した。


キャピトル・ヒル[連邦議事堂がある丘]の真珠湾についての徹底的な調査は、1945年11月、合同議会委員会が集まったときに始まった。委員会は6人の民主党員と4人の共和党員で構成されていた。政党の方針に沿った仲たがいがすぐに持ち上がった。民主党は、ルーズベルトがこの間亡くなったにもかかわらず、真珠湾スキャンダルが投票で彼らを打ちのめしうることを理解していた。民主党員6人全員が確固たる愛党心を維持しているかぎり、政権に有利な多数決は避けられなかった。

 

民主党はやりたいように操作するために彼らの優勢を利用した。委員会のために選出された弁護人は、かつてヘンリー・スティムソンと一緒に勤めた民主党員であり、彼の助手は、ディーン・アチソン元国務次官の法律事務所で働いていた、元ニューディーラーであった。委員会がどのような証拠を再調査するかは多数決が決定した。キンメルが申請を望んだ証人のうち数名は呼ばれることがなかった。


他の者は威圧によって証言が妨げられた。1941年の初頭、日本がハワイを含んだ一連の島々を攻撃しようとしていると陸軍省に警告した Warren J. Clear 少佐は、委員会の面前に現れないよう命じられた。合衆国監視所で最初に「風」メッセージを傍受した Ralph T. Briggs 准士官もそうだった。彼は司令官の面前に呼び出され、証言を禁じられた。「たぶん、あなたはいつの日か、その理由を知るでしょう」と彼は語った。Briggs には支えとなる盲目の妻がいた。彼は証言者として名乗り出なかった。

 

Alwin Kramer 海軍少佐の処遇はより露骨だった。真珠湾の時に海軍省の翻訳課を担当し、かつて「風」メッセージを見たと証言していた Kramer は、ベセスダにある海軍病院の精神病棟に閉じ込められた。共和党委員会の Frank Keefe 代表は、これを知って激しく抗議した。証言を変えたほうが身のためであり、さもなくば一生を病棟で暮らすことになると Kramer は告げられた。士官は委員会に出頭したけれども、「風」メッセージの存在を本質的に否定する、混乱させるような陳述をなした。

 

だがローレンス・サフォード大佐は恐れずに暴露した。委員会の民主党員達の間の、彼を「釘付け」にする運動が間もなく証明された。元地方検事局補佐のジョン・マーフィー[John W. Murphy]議員が彼に厳しい詰問[反対尋問]を受けさせた。狡猾な論争術は、海軍暗号法の最も著名な大佐を一方では忘れっぽく見せ、他方では上官に対する悪意のように見せた。

 

サフォードは「風」メッセージを信じる唯一の人物であるとのそしりを受けた。実際は七人もの士官が、彼らの記憶が「手伝った」以前には、メッセージを見たことを認めていた。サフォードの威圧は、おそらく、通信部隊の Otis Sadtler 大佐を鼓舞した。クラウゼン調査の間にSadtlerはメッセージに関する彼の証言を撤回していた。そのとき彼は進み出てサフォードを裏付けた。(それ以来「風」事件についての疑問は払拭された。歴史家のジョン・トーランドが報告したように、1941年にワシントンの大使館で大使館附武官補佐官に配属した実松譲と寺井義守の両者が、まさしくサフォードが語ったように、12月4日にメッセージが送られたことを確かめた)。

 

議会調査は六か月を超えて戦った。結局、民主党員6人全員が党を固守した。共和党員のバートランド・ギアハート議員は、伝えられるところによれば政治的理由のため、多数派の報告書に署名し、Frank Keefe 代表は調査結果の修正と引き換えに署名した。8対2の多数決は真珠湾について、ほとんどの非難をハワイの指揮官に、一部の非難を陸・海軍省に割り当て、そしてルーズベルトと彼の文民政府には全く非難を割り当てない裁決を言い渡した。

 

それが日本の攻撃についての最後の主要な公式調査であった。キンメルとショートの罪の嘘は永続させられ、ワシントンの秘密は封印された。ショート将軍(1949年死亡)とキンメル提督(1968年死亡)の家族の要請を受けて、議会は1995年に「小規模な厳密調査」を実施した。降格され、毀損された父親の社会的地位を元に戻すことを家族は望んでいた。1995年の調査はペンタゴンが新しい情報に照らして真珠湾を再調査することを要請した。けれども1995年12月1日、Edwin Dorn 国防副長官はこれらのコメントとともに彼自身の調査を終了した。「キンメル提督とショート将軍が公務における不公正な行為の犠牲者であると結論付けることができず、したがって退職者リストの昇進についての公的な救済が必要であると結論付けることはできない」。

 

Collaboration Pays
真珠湾の隠蔽に協力した者らは気前よく報酬を与えられた。ロバーツ委員会でオーウェン・ロバーツと一緒に勤めた者らについては・・

・1936年に退役していたにもかかわらず、「米西戦争における卓越し目立った勲功」との武勇が出来事の44年後にルーズベルトによって発見され、委員会の報告書に署名してから五か月後にジョゼフ・リーヴス少将は大将に昇進した。
・1942年1月、委員会の報告書に署名したのと同じ月、ジョゼフ・マクナーニー准将は少将に昇進し、続いて中将、大将、そして戦後はドイツのアメリカ占領軍の総司令官に昇進した。
・報告書に署名した後、ウィリアム・スタンドリー提督は殊勲章を受け、翌月(1942年4月)ソビエト大使に任命された。
・退役将軍のフランク・マッコイは極東委員会の議長に就任した。

 

隠蔽の他の主要人物については・・
・マーシャル将軍はアメリカの最初の五つ星元帥になった(そのような称号はそれまで存在しなかった)。次いで彼は国務長官・国防長官の任務に恵まれた。
・ジェロー准将は中将に、そして第15軍の司令官になった。
・陸軍パ—ルハ—バ—委員会の調査結果を改訂した、調査を監督したヘンリー・クラウゼン中佐は、アルバート・パイク[Albert Pike:南北戦争時の将軍のことと思われる]と同じ立場で、南部管轄のScottish Rite[フリーメイソンの付属団体]の独立最高司令官として16年間を過ごした。言い換えれば彼はアメリカで最高位のフリーメイソンとなった。(ルーズベルト大統領はフリーメイソンの33階位[最高階級]であり、マーシャルもフリーメーソンであったことを考えると、クラウゼンの報告書がルーズベルトとマーシャルのどんな不正行為も免罪したことは、ひょっとすると驚くほどのことではないのかもしれない。クラウゼン調査の開始に先だってフリーメイソンの握手と連署が起こったのかどうかを怪しむのはもっともであろう)。
コーデル・ハル国務長官は1945年のノーベル平和賞を受賞した。


ローレンス・サフォード大佐、Otis Sadtler 大佐、ルーファス・ブラットン大佐など、真珠湾について真実を伝えようとした者のキャリアは昇進しなかった。

 

Some postscripts
1999年5月25日、合衆国上院は、キンメルとショートは「適切かつ専門的」に任務を遂行し、真珠湾における我々の損害は「職務怠慢の結果ではない」との決議を承認した。「彼らはワシントンで利用できた重要な情報を与えられなかった」とウィリアム・V・ロス上院議員は述べた。ストロム・サーモンド上院議員はキンメルとショートを「真珠湾の最後の犠牲者」と呼んだ。

 

元司法省職員だったダリル・ボルギスは、ルーズベルトの「恥辱の日」演説の草案の調査から、実際の攻撃の前日である12月6日にその取り組みが始まったことを発見した。さらには第二次世界大戦以前に赤十字の戦争奉仕を指揮した Don Smith の娘、Helen E. Hamman からの、2001年6月2日のワシントン・タイムズに掲載された下記引用がある。

 

1941年の攻撃の直前、極秘事項に関する会議のため、ルーズベルト大統領は彼(私の父親)をホワイトハウスに招いた。この会議で大統領は、彼の情報幕僚が日本による真珠湾攻撃が差し迫っていると伝えてきたと、父に知らせた。彼は多くの死傷者と多大な損害を予期していた。彼は私の父に人員と補給用品を待機場に送るよう指示した。父が大統領に抗議したとき、ルーズベルト大統領は、アメリカ国民は自国の領土内を攻撃されなければ欧州での戦争に参戦することに決して同意しないであろう、と彼に述べた・・。彼は大統領の命令に従い、そして長年に渡ってこの行動を熟考して、倫理的にも道徳的にも間違っていると考えた。私はキンメル一家を知らないのでこの状況を捏造しても何の利益も得られないであろう、けれども、私はこの陰謀が暴かれる時が来たと思うし、キンメル提督はあらゆる告発の嫌疑が晴らされなければならないと思う。そうすれば彼と私の父、両者はきっと安らかに眠ることだろう。

 

 

*この後 "Pearl Harbor and 9/11" の一節が続きますが省略します。また原文には、パーロフ氏が推薦する「真珠湾」に関する書籍のリストと、本文中の記述に対する典拠を記した脚注があります。