Deepest Sympathy

 

レイモンド・モーリー著 After Seven Years | Mises Institute (1939年) からの部分訳です。

この本には私にとって難解な英語表現が多く(直訳だと意味を取りにくい)、下記訳文の前後の記述を十分に把握することができません。訳文そのものに誤訳が含まれている可能性のみならず、前後の文章を通じて読むとニュアンスが変わってくる可能性もあると思われますのでご注意願います。

 

 

p.94~95

ルーズベルトは1月11日、フーバー大統領が、武器の輸出を禁止する際に他の国々と協力する権限を議会に要求したことを、彼の65丁目のルーズベルトハウスでなした声明で支持した。

 

1月16日にスティムソン長官は、欧州の諸外務省と国際連盟に対し、満州の承認についての彼の見解を再び述べる中、新政権はそれを変更するつもりがないことを広く示した。

 

翌1月17日、ルーズベルト知事は、私らの誰とも相談することなく、「アメリカの外交政策は国際条約の神聖を擁護しなければならない」と発言した。それ自体はそれほど重要ではないけれども、先のスティムソンの声明と関連付けて読むと、これは、彼と彼の政府は極東においてスティムソン・ドクトリンを維持すると明確に約束するものであった。それは、合衆国は「侵略者」によって成し遂げられた政治的変化を承認しない、という公式を次期政権が受け入れたということを意味した。それは、そのとき存在した「侵略者」という用語の未完成の定義を受け入れることを示した。それは、集合的制裁論の承認や、外国での戦争における「中立」として、我々は禁輸や同様の措置によってどちらか一方を差別せねばならない、との誤った考えの承認を暗示した。それは実質的に、フーバー=スティムソンの拒絶・・伝統的なアメリカの中立概念・公平無私・公明正大・外国の揉め事に参加しないことの拒絶・・の心からの黙諾であった。結局、それは極東での重要な戦争を招いた政策を支持した。アメリカとイングランドが日本に対してしなければならなかったかもしれない戦争には、スティムソンと行動を共にすることを拒否しないイングランドがあった。

(中略) 

レックス[レックスフォード・タグウェル]と私は答えを見つけようとした。1月18日、フーバー=スティムソンの極東政策を一括して引き受けることは悲劇的な誤りであると感じた理由をまず説明しようと、我々は65丁目の家でルーズベルトと数時間を過ごした。いつも私よりも能弁で興奮しやすいレックスは、彼がなしうるあらゆる明快さと情熱で主張を詳しく述べた。F.D.R.の反応から何が彼の動機なのかを見い出そうと、私は聞くことに専念した。

 

ルーズベルトは目を上げて、彼の祖先が中国との貿易に携わっていたことを思い起こすことで議論を終わらせた。「私はいつも中国人を深く思いやっている。いかにして私が日本に関してスティムソンに賛同しないと考えたのか?」と彼は述べた。それがすべてだった。それは全く単純であり、驚くべきであり、答えであるはずがなかった。

 

 

FDR's grandfather was a major opium dealer

Mohave Daily Miner, Jul 25 1986 - Google News Archive