Pearl Harbor(ライフ1945年9月24日号)

 

 

ライフ・マガジン、1945年9月24日号の110頁が素材です。LIFE - Google ブックス

全文を読んでおらず確かではありませんが、途中まで訳した印象では、真珠湾に関して何かを証明すると言うよりも、むしろそれについての数々の疑惑を表明している文章ではなかろうかとの印象を受けました。とはいえ1945年9月という日付には驚くべきものがあると感じられます。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

Pearl Harbor

The facts were known to Republican Presidential Candidate Thomas Dewey in 1944. He withheld his fire, but now is the time to assess their meaning

事実は1944年の共和党大統領候補、トマス・デューイに知られていた
彼は非難を差し控えたけれども、今が事実の意味を評価する時だ
by John Chamberlain

 

 

日本がポツダム提案の条件で講和を求めた8月14日まで、「リメンバー・パールハーバー!」はスローガンだった。我々を奮い立たせ日本人に立ち向かうよう駆り立てる、ハルゼー提督風の戦いのスローガン。その日、14日からその意味が変化した。確かにそれは多くの意味を持つスローガンになったけれども、ラドヤード・キップリングの「退場の歌」の教訓と置き換えられたことはなかった。民主党で下院議長のサム・レイバーンが、スローガンの言い回しが「Forget Pearl Harbor!」へと変更されるように願ったほど、その意味のいくつかは政治的にひどく危険な嫌疑を掛けられた。けれども真珠湾は調査されるだろうし、その様々な意味が本の見開きになるだろう。真珠湾の真の教訓を示すため趣意が正しい比率で組み合わされるであろうかどうか、海外・軍事政策・大衆の理解とその制御の密接な統合が必要な世界の中で、行為の利益になるとの見地によりアメリカ国民がストーリーから教訓を得るであろうかどうかは、まさしく推論に値する事柄にすぎない。

 

長い間、我々が罪なくビジネスをしていたときに警告なしに殴りつけられた、というのが真珠湾の公式な説明だった。我々は殴りつけられた、日本の行動を斟酌する必要はない、と。けれども我々が警告なしに殴りつけられたと言うのは真実の根本的な歪曲である。陸海軍の最高司令官で大統領のルーズベルトは、日本人が我々を攻撃しようとしていたことを事前に知っていた。重大な局面で危機に追い込むことをルーズベルトは選んだ、と疑う見解すらある。

 

ルーズベルトの的確な一連の行動の正当化は、おそらく、永久に主張されるであろう。パターソン・マコーミックの新聞[訳注:シカゴ・トリビューン]は異議を唱え続けるかもしれないが、どんな手段を用いてでも枢軸国のまん延に対抗するルーズベルトの基本的な決断を、歴史は必ずや承認するであろう。日本人と多くの自国民に対する二正面の心理戦の道義性は民主主義のやり方と和解できないにもかかわらず、出来事を操る上でルーズベルトは偉大な先見性と実用的な政治手腕を行使したという主張すら、歴史は正当化するかもしれない。けれども最高司令官が承知のうえでさらけ出した軍事的怠慢、そして国家元首という別の立場で・・恐らく賢明に・・危険なゲームを行ったことは、歴史が正当化しえないものである。ルーズベルトの針路は、融解した激怒と統一された士気に基づき、嫌がる国民を、もしかすると避けられなかった戦争へと導くことができた唯一のものであっただろう。だがそれは国防省の全部局に徹底した警戒を求める針路であった、そして最高位からの明確な命令だけから警戒が引き起こされた可能性がある。

 

今後の調査で示されるように真珠湾事件は多くの観点で進める。今や大腿骨、今や顎骨と、露出するクローゼットの中の骸骨(skeleton in the closet:隠し事。内輪の恥)を。民主党真珠湾についてのあらゆる効果的な政治的反発の表明を挫折させるように設計した戦術とタイミングを選択したと、共和党は告発し証明するだろう。

(以下省略)