ヒロシマは必要だったのか?(その3・完結)

 

Mark Weber氏 Was Hiroshima Necessary? の翻訳です。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

Critical Voices
世間一般の熱狂の喧噪の中、厳粛な懸念を抱いた者もいた。ニューヨーク・タイムズ論説委員のハンソン・ボールドウィンは「我々はチンギス・カンや、戦争で徹底的な無慈悲を用いることを正当化した歴史上のすべての人物の外套の相続人である」と書いた。ノーマン・トーマスは長崎を「とても残酷な戦争の中の、単一の最大の暴虐」と呼んだ。大統領の父親、ジョセフ・P・ケネディも同様に嫌悪感を抱いた。

 

アメリプロテスタントの代弁者、クリスチャン・センチュリー誌は爆撃を強く非難した。1945年8月29日号の「アメリカの原子力による暴虐」と題する論説は、読者に語った。

 

――日本は海軍が沈み、事実上空軍が壊滅し、国土が取り囲まれ、補給が断ち切られ、かつ我が軍が決定的な打撃を与えることができる態勢のときに原爆が使用された。・・我が指導者達は内包する倫理的な考慮事項を検討しなかったようだ。爆弾が完成するやいなや前線に急送され、二つの無力な都市に投下された。・・原子爆弾はまさしくキリストの教えを攻撃したと言える。・・アメリカ教会とその教義は、アメリカ政府のこの非人道的で無謀な行為との関係を絶たねばならない。――

 

アメリカトリックの代弁者、コモンウィール​誌も同様の見解を示した。広島と長崎は「アメリカ人の犯罪と不名誉の別称である」と論じた。

 

ピウス12世も、伝統的なローマ・カトリックの立場を踏まえた見解を表明しつつ、同様に非難した。「住民がいる都市の全体または広範囲にわたる無差別破壊を対象とするあらゆる戦争行為は、神と人類に対する犯罪である」。バチカンの新聞、オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙は、1945年8月7日付で批判した。「この戦争は悲劇的な結末をもたらす。信じられないことに、我々が歴史からほとんど何も学んでいないということを知る、この破壊的な兵器は、後世にとって誘惑の魔手として存続する」。

 

Authoritative Voices of Dissent
事実を知る立場にあるアメリカの指導者達は、当時かその後のいずれかに、戦争を終わらせるために原子爆弾が必要だったとは信じなかった。


1945年7月中旬、ヘンリー・スティムソン国務長官から原子爆弾使用の決定を通告されたとき、ドワイト・アイゼンハワー将軍は深く心配した。彼は1963年の回想録(The White House Years: Mandate for Change, 1953-1956 [312-313頁] )でこの新兵器の使用についての強い内心の懸念を明らかにした。

 

――彼(スティムソン)が関連する事実を読み上げている間、私は憂鬱な気持ちになり、そうして私の厳粛な不安を彼に述べた。ひとつは日本はすでに敗北しており、その爆弾の投下はまったく必要がないとの私の信念に基づいて。次に、アメリカ人の命を救うための手段としてもはや必須ではないと思われた武器を使用することで、国際世論に衝撃を与えることを避けるべきだと考えにより。日本は、まさにそのとき、「面目」の喪失を最小限に抑えて何とか降伏する方法を模索していたというのが私の確信であった。――

 

「日本は降伏の準備ができており、あのひどいもので彼らを攻撃する必要は無かった・・。我が国がそのような兵器を使用した最初の国になって残念に思う」とアイゼンハワーは1963年に述べた。

 

太平洋戦争が終結した「対日戦勝日」の直後、ボナー・フェラーズ准将はマッカーサー将軍のためにメモにまとめた。「原子爆弾ソ連の参戦も日本に無条件降伏を強いていない。日本はこれらの出来事が起こる前に敗北していた」。

 

同様に、ルーズベルト大統領とトルーマン大統領の参謀長、リーヒ提督も後に語った。


――私の意見では、広島と長崎での野蛮な兵器の使用は、我が国との戦いにおいて物質的な助けにならなかった。・・日本はすでに敗北し、効果的な海上封鎖と従来の武器による爆撃の成功という理由のため降伏する用意ができていた。・・アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる、というのが私の感情だった。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない。――

 

もしアメリカがじっくり待つつもりさえあれば、「効果的な海上封鎖によっていずれ石油、米、薬品や他の必需品が不足し、 日本人は窮乏して降伏せざるをなくなった」とアーネスト・キング海軍作戦部長は述べた。

 

原爆の開発に大きな役割を果たしたハンガリー生まれの科学者レオ・シラードは、その使用に反対して論じた。「日本は本質的に敗北している」し「原子爆弾が単なる別の軍事兵器であるかのように、原爆で都市を攻撃するのは間違いである」。1960年の雑誌にシラードは書いた。「もし我々の代わりにドイツが都市に原爆を投下していたなら、我々は都市に原爆を投下することを戦争犯罪として定義したであろうし、ニュルンベルク裁判でこの罪を犯したドイツ人に死刑を宣告して吊るしたことであろう」。

 

US Strategic Bombing Survey Verdict

この問題を詳細に調査した後、米国戦略爆撃調査団は、原爆が理由で日本が降参したとの理解を拒否した。信頼すべき1946年の報告書で調査団は結論付けた。


広島と長崎の原子爆弾は日本を敗北させなかったし、戦争を終結した敵の指導者達の証言によると、日本に無条件降伏を受け入れるように促したこともなかった。天皇内大臣、総理大臣、外務大臣海軍大臣は、たとえ連合国側の条件での敗北の受諾を意味するとしても戦争を終わらせるべきであると、早くも1945年5月に決定していた。・・

 

1945年4月7日に任命された鈴木政権の任務は和平を結ぶことであった。まだ最後の武士道の防衛を決意していた軍人や官僚がいたし、個人への危害や内部の障害を最小限にして和平を結ぶ自由を得ることが恐らくより重要だったので、無条件降伏よりも負担が少ない条件を得るための交渉の外観が維持された。けれども調停者が瀬戸際で講和を得ようとしたことと、どんな条件の講和でも受けようとしたことは明らかなようだ。これは Jushin [重臣?]による裕仁への助言の要点であり、4月に木戸が申し立てた結論であり、4月の小磯内閣の崩壊の根底にある理由であって、鈴木が首相になったときの彼に対する天皇の特定の命令は内閣閣僚全員に知られていた。・・

 

ロシアに対する仲介交渉は1945年5月の初め、東京とモスクワで始まった。ソ連への使者を意図した近衛は、表面上は交渉する予定であったけれども、過酷といえども、いかなる代償を払ってでも和平を実現するよう天皇から直接かつ内密の指示を受けた、と本件調査に述べた。・・


日本の降伏のタイミングを決し、いかなる侵入の必要性をも不要にした主要な要因は、絶対航空優勢と、その日本本土を覆う搾取であったことは・・明らかなようだ。

 

一切の事実の詳細な調査に基づき、また生き残った日本関係指導者の証言をも参考にして、調査団は次のような見解に到達する。すなわちたとえ原子爆弾が投下されなかったとしても、たとえロシアが参戦しなかったとしても、さらにまた上陸作戦が計画もされず企図されなかったとしても、1945年12月31日以前に必ずや、そしてまず間違いなく1945年11月1日[アメリカの侵入が計画された日]以前に、日本は降伏したであろう。

 

Historians' Views
歴史家でジャーナリストのエドウィン・P・ホイトは「世界中の善意の人々によって恒久化された、原子爆弾が日本を降伏させたという大きな作り話」を暴いた。Japan's War: The Great Pacific Conflict, 1853-1952 の420頁で彼は説明した。

 

――日本の軍国主義者の考えとしては、原爆は単なる別の兵器であった、というのが事実である。広島と長崎の二個の原子爆弾は飾り[装飾]であって、日本の都市爆撃ほど大きな被害をもたらさなかった。B-29焼夷弾作戦は三百十万の家屋を破壊し、千五百万人の住居を奪い、およそ百万人を殺害した。戦争を終結する決断を裕仁に促したものは、無慈悲な焼夷弾、そして「無条件降伏」を達成するために必要ならば、連合国は日本を完全に破壊し全ての日本人を殺すであろうとの彼の認識であった。原子爆弾は確かに恐ろしい兵器だが、今日に至るまで神話が存続するにもかかわらず、それは日本の降伏の原因ではなかった。――

 

鋭い新刊 The Decision to Drop the Atomic Bomb (1996) で、歴史家のデニス・ワインストックは、原爆は不必要であっただけでなく、アメリカの利益を実際に害した復讐政策に基づいた、と結論づけた。彼は書く(124,132頁)。

 

――1945年4月までに、日本の指導者達は戦争に敗北したと認識した。無条件降伏に基づくアメリカの主張が、彼らの降伏への主たる障害であった。彼らは特に、裕仁皇位にとどまることをアメリカが認めるかどうかを知る必要があった。アメリカが、彼を退位させ、戦争犯罪者として彼を裁き、あるいは処刑することを彼らは恐れていた。・・

 

無条件降伏は復讐の政策であり、それはアメリカの国家的利益に損害を与えた。それはヨーロッパと東アジアの戦争を長引かせ、それらの地域でのソ連の支配力の拡大に役に立った。――

 

米太平洋陸軍司令官、ダグラス・マッカーサー将軍は、生前、軍事的視点からは原子爆弾は全く必要なかったと数多くの機会に述べた。「日本は崩壊と降伏の間際にあるということに、私のスタッフは皆同意した」。


ドイツと日本の精密爆撃を率先したカーチス・ルメイ将軍(後に戦略航空軍団司令や空軍参謀総長を務めた)は、それを最も手短にした。「原爆は戦争終結となんら関係がない」。