ソビエトの中国支援

 

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Foreign relations of the United States.1937.V3. | Hathi Trust Digital Library (p.635-637)

ウィリアム・ブリット駐仏大使から国務長官

PARIS, October 23, 1937—1 p.m.
[Received 4 p.m.]

(前半省略)

Yvon Delbos[仏外務大臣]と会話した後、レオン・ブルム[仏副首相]と二人きりで夕食を取った。ブルムは仏領インドシナを通じて中国に軍需品を輸送することを禁止するフランスの決定を明らかにした。Delbosが言及した政府の主要メンバーによる小規模な会合で、昨日午後、再びこの問題を提起したとブルムは語った。少なくともブリュッセル会議までの間はインドシナを通じた発送は許可されるべきであると彼は提案した。フランス政府は発送の禁止を決めたと通知された、との日本政府と中国政府、両者の異議があった。ブルムが言うには、日本と中国に更に述べずとも現在向かっている全ての荷物は仏領インドシナを通過できるであろうとブルムは主張し、最終的に合意がなされた。


続けてブルムは、万一中国での戦争が長期化するならば、仏領インドシナは中国が軍需品を受け取ることができる経路の一つになることは明らかだと述べた。これは、中国領土内の鉄道線路を日本が破壊することはほとんど確実で、仏領インドシナへの日本の攻撃につながるかもしれない。彼はシャム[タイ王国]が日本と協力する可能性にも言及した。


これはフランスを最もむき出しの立場に置くであろうし、もしブリュッセル会議が、すべての代表国が能力に応じて軍需品を中国に供給し、インドシナを経由する経路を開いたままにすることをフランスに推奨すると結論するのであれば、日本の攻撃が起こった場合にはインドシナの防衛からフランスを一人にしない、と同時に約束することが不可欠であろう、とブルムは続けて述べた。もし英国、仏国、ソ連、米国が結束して強硬な措置をとるなら、日本がいずれかを攻撃しても何も危険はないであろうと信じていると彼は付け加えた。しかしながら彼は、ソ連の立場について極めて懐疑的であると述べた。最近彼は、ジュネーブで、リトビノフと多くの話し合いをした。リトビノフは古くからの友人のように率直に語った。リトビノフは、彼もソ連も、日本が中国を攻撃したことを本当に喜んだと語った。日本は財政的にも経済的にも弱体化し、攻略した中国を消化するのに莫大な困難を抱えることになるので、ソ連は今やこの先何年にも渡って極東の平和を完全に確保することができる、とリトビノフは信じた。ソ連は、支那事変ができるだけ長く続くことと、できるだけ多くの中国を飲み込もうと日本が試みることを望んでいる、とリトビノフは付け加えた。これは欧州での活動のためにソ連を自由にするであろう。


日本の究極の目標はウラジオストクを占領しバイカル湖に国境を設置することなので、日本による中国の征服を阻止することはソ連の重要な関心事であるとリトビノフと議論した、とブルムは述べた。
リトビノフはこれを笑ったので、支那事変がどれほど長く持続しようとも、日本がどれほど中国を征服しようとも、ソビエト連邦は受け身のままであろう。中国に攻撃する前は日本が最も敵対的でいまいましかったのに反し、今日では日本人は皆、ソ連政府との関わりにおいて礼儀正しく胡麻を摺る、とリトビノフは述べた。
現在の強固な姿勢は、フランスは仏領インドシナを通じた中国への輸送を禁止したと日本と中国双方に通知しながら、実際にはこれらの輸送はブリュッセル会議で議論されるまで続くように思われる。


私はブルムに、ブリュッセル会議で達成されるかもしれないと考える事柄について尋ねた。長い沈黙の後に彼は、アメリカが仏領インドシナと蘭領東インドを軍事力で保証する気にならなければ何も成し遂げることはできないと思うと述べた。
もし国務省が、インドシナを通じる輸送についてなんらかの明確な方針を採ることを私に望むのであれば、指示を送っていただきたい。私は質問を厳に自制し意見を表明しなかった。

 

 

 

Foreign relations of the United States.1938.V3. | Hathi Trust Digital Library (p.164-165)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 9, 1938—8 p. m.
[Received May 10—7:45 a. m.]

昨日、立法院院長の孫科と二人きりで昼食をとり、長い会話の中で次のように述べた。
少なくとももう一年、中国は日本に抵抗し続けることができると彼は確信していた。イギリスで調停の協議があった。彼は、現在のところ調停の提案は成功する見込みはないと考えていたけれども、十二か月が経過するまでには英国と米国に対して調停を求めているような難しさに日本人は気がつくであろうと予想した。

 

長い英国訪問の結果、英国は、日本が中国を圧倒することを望まない一方、日本の敗北がソ連による中国支配を意味することを恐れて日本が敗北することも望んでいない、との印象を彼は抱いた。彼は、中国共産党の指導者達は今や全く忠実に蒋介石と協力していると断言し、中国の共産党員は中国の愛国が第一であり共産主義は第二であるとの見解を表明した。中国には共産主義の危険はなかった。


ロシアは中国に、現在までおよそ一億五千万中国ドルの軍需品を供給した、と語った。彼らはこれらの購入に対する支払いを中国に要求しておらず、それどころか中国がそれらの支払いを約束するよりも早く軍需品の一部を出荷した。新疆を横切る道路は冬の間、雪掻き部隊によって開かれていた。ビルマから中国内陸部の道上には十七万五千の苦力がおり、二か月以内にその道は軽いものを背負って運搬するだけでなく、トラックで飛行機や重い大砲を運ぶこともできる、と彼は請け合った。


現在のところ政府の主な悩みは通貨の状態であると孫科は述べた。中国は軍需品の購入のために資金を必要としなかったれども、通貨安定借款や中国通貨の安定化のための他の形での支援は計り知れない助けになるであろう。この目的のため、合衆国政府、あるいは民間のアメリカ財界から、援助を得る可能性が中国政府にあると思うだろうか、と彼は私に尋ねた。信頼できる回答を与えるためにその主題に十分に精通しているふりをすることはできない、と私は彼に言ったけれども、私の明確な印象では合衆国政府はこの目的のために使用できる資金がなく、民間の銀行が関心を持つ可能性は低いと思われた。


孫科は明日モスクワを経由して中国へ向かう。最近モスクワを訪れた折の、スターリンとの六時間の会談について彼は詳しく説明した。彼は述べた・・スターリンは孫科にわかっていると請け合った。中国は自国の戦いだけでなくロシアの戦争をも戦っていること。バイカル湖までのシベリア全域を占領することが日本の究極の目標であること。中国が軍需品・飛行機・その他の物資の形でロシアからあらゆる可能な支援を引き続き受領し続けるであろうこと。しかしながらソビエト連邦は軍事的に戦争に介入することはないであろうこと。

もしソ連が日本と戦争になればドイツがソ連を攻撃するかもしれないとスターリンは懸念していた。ソビエト連邦によって日本が破壊されることを英国も米国も許さないであろうともスターリンは思った。