真珠湾:ルーズベルトの9/11(その3)

 

ジェームス・パーロフ Pearl Harbor: Roosevelt’s 9/11 | James Perloff の翻訳です。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

The False Flag Foreknown (1): “Magic”
日本人は「パープル」という暗号を用い、世界中の大使館や主要な領事館と連絡を取った。暗号は複雑で、機械で暗号化され解読されることを要した。日本人は暗号を解読できないと考えていたけれども、1940年には有能な米軍の解読者が暗号を解読し、日本の機械の複製を考案した。その結果、アメリカの情報機関は日常的に日本の外交通信を読んでいた。

 

「マジック」と名付けられた解読された文書のコピーは、即座に鍵が掛かった袋に入れられ、選ばれた人々・・ルーズベルト大統領、国務長官コーデル・ハル、陸軍長官ヘンリー・スティムソン、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル将軍、海軍作戦部長ハロルド・スターク提督、が含まれていた・・に届けられた。内閣に地位を持たないルーズベルトの陰の顧問、ハリー・ホプキンスにもコピーは届けられた。

 

ホワイトハウスに住んでいたホプキンスについては本文を脱線する価値がある。ホプキンスはウッドロー・ウィルソンエドワード・マンデル・ハウスと適切に比較されてきた。ハウスはウォール街の支配者でホワイトハウスに住んだ。ハウスのように、ホプキンスはチャーチルスターリンを訪問し特別な使者として行動した。戦後、彼がレンドリースの責任者として秘密裏に原爆の原料と設計図をソ連に輸送したことが明らかにされた。これはレンド・リースの納期管理者、ジョージ・レイシー・ジョーダンの "From Major Jordan's Diaries" に記録されている。イギリス新聞界の大物ビーヴァーブルック男爵[マックス・エイトケン]と、強欲な銀行家バーナード・バルークから、三度目の結婚の際にホプキンスに贈られた贈り物についてのジョン・T・フリンの興味深い批評を "The Roosevelt Myth" から見つける人もいるかもしれない。)

 

ホプキンスは「マジック」の傍受にアクセスできたけれども、我がハワイの司令官はできなかった。そしてこれらの傍受が明らかにしたことは?

 

・東京はハワイの総領事に、真珠湾を五つの区域に分け、アメリカ軍艦の正確な場所を頻繁に報告するよう命じた。船舶の動きを見ているスパイは全く珍しくないけれども、ドック内の船舶の正確な位置を報告することはただ一つの意味を持つ。
・11月29日(アメリカの最後通牒の三日後)、日本の指導者達は、交渉の決裂は「避けられない」が「交渉が決裂したという印象を与えて欲しくない」とワシントンの日本の公使らに告げた。
・11月30日、東京はベルリンの日本大使館に、「誰が想像していたよりも早く戦争が勃発するかもしれない」とドイツ(同盟国)に通知するよう命じた。
・12月1日、日本は北アメリカの外交官に機密書類を破棄するよう命じた。(ひとたび戦争が勃発すると、敵国の事務所は、外交特権を失い差し押さえられる)

 

真珠湾にまつわる出来事をハリウッドが描いた、1970年の映画「トラ・トラ・トラ!」の中で、ハワイへの攻撃の後、交渉の打ち切り(戦争を意味する)の通告をコーデル・ハル国務長官に示す日本の大使が描写されている・・ハルは驚きと憤りをもって反応する。

 

しかし、実際には、ハルはまったく衝撃を受けなかった。前日(12月6日)、ルースベルト大統領のように、彼は翻訳された日本の宣言の傍受を既に読んでいた・・14部の通告のうちの13部を。

 

The False Flag Foreknown (2): East Wind, Rain
いわゆる「風」メッセージを通じて、さらなる前兆があった。もしアメリカとの交渉の打ち切りが迫ったならば、東京はラジオで特別な警告を発するであろうことを、11月18日の傍受は示した。これは、暗号やその機械を備えていない日本の領事館や小規模な組織に到達することを意図していたので、パープル暗号は使用されないであろう。天気予報の中で三回繰り返されることになっているメッセージは「東の風、雨」。「東の風」はアメリカを意味し、「雨」は外交的な不和(戦争)を意味した。

 

この予期されるメッセージは非常に重要であるとみなされたので、アメリカのラジオ監視が絶えずそれを見張り、海軍省はそれを特別な備忘カードに記入した。12月4日「東の風、雨」が放送され、ワシントンの情報局によって拾い上げられた。

 

The False Flag Foreknown (3): Personal Warnings
1941年の間、ルーズベルト政権も、真珠湾に関するいくつかの私的な警告を受け取った。

 

・1月27日、ジョセフ・グルー駐日大使がワシントンに報告した。「日米間で紛争が発生した場合、日本は全力で真珠湾を奇襲攻撃するつもりであると、日本のものを含む様々な情報源から聞いたと、ペルー公使が私のスタッフに知らせた・・」

・エリオット・ソープ准将は、オランダの統制下にあったジャワ島で、アメリカの軍事監視要員であった。1941年12月初旬、オランダ軍は東京からバンコク大使館宛の発信を解読し、ハワイへの攻撃を予測した。オランダはソープに情報を渡し、極めて重要であるとソープは考えたので、ワシントンに合計4つの警告を送った。最終的に陸軍省は、それ以上の警告を送らないよう彼に告げた。

・オランダのワシントン駐在武官、F. G. L. Weijerman 大佐は、攻撃の数日前、真珠湾について陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルに個人的に警告した。
・ドゥシャン・ポポヴは、ユーゴスラビア人の二重スパイであり、真の忠誠は連合国にあった。ドイツから与えられた情報を通じ、ポポヴは日本が真珠湾を爆撃しようとしていると推測した。彼はFBIに通知し、続いてジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官がルーズベルトに警告した。
アイオワ州選出のガイ・ジレット上院議員は、中国・朝鮮人民同盟の韓吉寿から、日本は「クリスマスの前に」ハワイを攻撃するつもりであるとの情報を受け取った。ジレットは大統領に説明し、この件は調査されるであろうと大統領は述べた。

テキサス州選出のマーティン・ディーズ下院議員は、日本の真珠湾攻撃の計画を明らかにする地図を入手した。彼は後に書いた。

「私は文書を受け取ると、すぐにコーデル・ハル国務長官に電話をかけ、私が持っているものを伝えた。ハル国務長官は、地図のことを誰にも教えないよう私に指示し、ルーズベルト大統領に話をしてできるだけ早く私に電話をかけると述べた。およそ一時間後、彼は、ルーズベルトと話をし、この地図に関する情報が通信社に渡ると極めて深刻な事態になると彼らは同意した、と電話で述べた。私はこのような重要な情報を国民に知らせないでおくことは容易ならぬ重荷であると彼に話した。国務長官は、彼とルーズベルトが国防に不可欠であると看做したことを私に請け合った」。

 

The False Flag Foreknown: (4) Naval Intercepts

2000年に出版された "真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々" でロバート・スティネットは、情報公開法を通じ入手した文書から、ワシントンは日本の外交メッセージのみならず、軍艦の発信をも解読していたことを証明した。

 

長年、真珠湾に近づくにつれ、日本の艦隊は完全な無線封止を維持していたと推測されてきた。これは事実と異なる。艦隊は慎重さを守っていたけれども、完全な封止ではなかった。八項目の挑発計画の原文を書いたマッカラム少佐を通じ、ルーズベルト大統領は、アメリカ海軍情報局が傍受し翻訳した多数の通信を入手した。1941年11月25日、山本提督から日本の第一航空艦隊に送られたメッセージが最も重要であった。

 

「機動部隊は、行動の秘密を厳に維持し、かつ潜水艦や航空機に対する注意深い警戒を維持しつつ、ハワイ海域へと進入し、アメリカ艦隊の主力を攻撃し致命的な一撃を加えてまさしく開戦とすべきである。最初の空襲はX日の夜明けに計画されている。正確な日付は追って指示される」。