オーウェン・ラティモア

 

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

Solution in Asia: Owen Lattimore p.189-191

 

もし日本人自身が天皇なしでやっていこうと決めたなら、それは結構なことだ。そうでなければ、軍国主義が壊滅的に打破されたので、勝者である我々は天皇を使う必要がなくなった、ということを我々は示すべきである。日本の王位継承規則と養子縁組規則によって王位に就く資格のある天皇およびすべての男子は、共同責任を強調するため、できれば中国、ただし国際連合委員会の管理の下に、拘禁されるべきである。天皇、財閥一族、著名な軍国主義者に属する財産は、彼らの承認なしに国連の命令によって、農地改革計画に引き継がれるべきである。最終的に、天皇が死去した後、加えて新たな政府機関と財政・産業の新たな経営陣とが定着した後に、残りの皇統メンバーは好きなところへ行くことが許される。その時までに、新たな既得権益は君主政体の復活を阻むことができよう。


将来の日本は共和国になるだろうと私は思う。日本人が共和国を立ち上げるのを支援するにおいて、アジアにおける他のどの国よりも多数の、読み書きができる有権者が日本には存するという事実に、我々は自信を持つべきである。それが過去に強力な民主政府を樹立できなかったのは、それが政治的に愚かだったからではなく、憲法を変えることができなかったからであり、軍国主義組織やテロ組織が野放しだったからである。しかし、あらゆる抑圧にもかかわらず、1936年の日本の選挙では、軍事冒険主義に反対する多数の票が投じられた。我々は、最初の暫定政権の中に、政治的暴力団に殴られたり暗殺の脅迫を受けたり、投獄された経歴を有する、政治指導者・議会指導者の生き残りを含めなければならない。彼らをテロから守るため、我々は少なくとも、国外追放や拘留を含めて彼らの罪に応じて罰せられるべき、黒龍会のような結社と証明された将校や民間人の全員を戦争犯罪者に含めるべきである。これらの犯罪者を捕らえることは難しくないだろう。「秘密」協会はある意味において秘密だったにすぎない。より危険なテロリスト達はよく知られていたし、彼らの結社を自慢していた。

 

他方、かつて大使館の人々を魅力的にもてなし、ウォール街や美術品収集家、園芸愛好家のメンバー達に好印象を与えた、近衛公爵をはじめとする伝統的な装いの「リベラル派」に寛大であってはならない。彼らは、ドイツでシャハト [ドイツ経済相] を生んだ階層に属する。略奪的な軍国主義と略奪的な大企業との間を連絡する役割の一端を彼らは担っていた。日本が政治的に進歩する能力を見せ始めたときには、我々は、指導層が中道左派となり、少なくともソ連と友好的になれるだけのリベラルさを期待せねばならない。わが国との友好関係と同様に、ソ連や中国との友好関係は、民主的な日本にとって必要なものとなろう。

 

 

Papers pertaining to United States of America v. Owen Lattimore p.98-99

 

日本との実際の戦闘が行われていた期間中、米国の情報源によると、ロシアは中国政府に武器その他の支援を提供し、中国共産主義者には支援を提供しなかったことへの圧倒的な証拠がある。実際、真珠湾攻撃以前は、蒋介石政権へのロシアの支援は米国のそれを大きく上回っていた。


他方、対日戦争がまさに終結しようとしていた先を争う日々には、満州でのロシアの作戦は、共産主義者の立場の改善にとって、間接的ではあるが非常に重要な貢献をした。ロシア人が共産主義者に輸送手段を提供しなかったことはまったくもって明白であるように見える。ロシア人は単に自然の成り行きに任せた。その地理的状況は、共産主義者が自力で「圧倒的な戦力で最初にそこに行く」ことができるものだった。ロシア人は、彼らに最初にそこに行かせ、日本人が引き渡したか放棄した大量の武器を取得させた。しかしロシアから中国共産主義者への戦後支援が、米国から中国政府への戦後支援に匹敵するとの証拠はない。


付け加えると、ロシア人が、できる限り長く満州に滞在したことと工業設備を撤去したことによって、地元中国人の大半からすこぶる不評を買ったことは重要である。


米国側は、中国への支援をはるかに超えて、政治的・軍事的介入に深く関わってきたことに議論の余地はない。真珠湾後の最初の時期、ジョセフ・スティルウェルの危機において、我々は、日本人と戦った中国人は皆、米国の支援や協力を分かち合う資格があるとの米国式のやり方を撤回した。その代わり我々は、それを和らげようとしたとはいえ、国民党のやり方を受け入れた。日本人と戦った中国人であっても、右翼国民党の将校が彼らを「反抗的」と考えたならば、米国式装備を使用している国民党軍から攻撃される責を負うとの。


日本が崩壊した「先を争う」時期には、我々は、軍事状況の全体像を変更するほど多大な支援を政府に与えた。我々は、船でも航空機でも、我々の介入なくしては支配を得ることができなかった地点、地域、兵站線まで国民党軍を輸送した。我々が陣頭指揮を執って国民党は満州に進出した。


それ以来、米海兵隊がいなければ、共産主義者抵抗勢力によって占領されたであろう中国北部の炭鉱から、上海へと、石炭の供給を維持してきた。米海兵隊はまた、国民党軍は到達しえなかった、まして保有しえなかった、多くの港を保有している。我々は、外敵からの保護に中国政府が必要としないうえ、自治政府の代表者を求める何百万もの中国人を鎮圧するため自由に利用されている、輸送機、戦闘機、大量のその他装備を、中国に投入してきた。

 

そのうえ、記録上、中国における米国の介入は、ロシアの介入よりもはるかに広範囲かつ重大である。米国の介入が撤回されればソ連の介入に取って代わられるにすぎないとの可能性は別個の問題であるうえ、中国での工作や対抗工作に依るよりも、モスクワとワシントンの合意によって効果的に対処できる問題である。


さて、満州に居座っていた間ロシア人が不評を買ったように、なんであれ我々の介入の継続が中国でだんだんと不評を買いつつあるということに疑いの余地はない。だが彼らは去った。我々はまだあちこちにいる。我々は、ウェンデル・ウィルキーがこの上ない我々の資産と呼んだ「善意の貯水池」を急速に使い果たしている。我々は、善意の目的で失いつつあるものを補うに十分なほど、パワー・ポリティクスで勝っているのだろうか?我々は中国で、引き返すことができないほど遠くまで行ってしまったのだろうか?