グルーから国務省。1935年(その1)

 

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

Foreign relations of the United States. Diplomatic papers. 1935.V.3. p.106~

 

The Ambassador in Japan (Grew) to the Secretary of State

No. 1236 Tokyo, April 5, 1935.

[Received April 20.]

 

拝啓。東清鉄道におけるソ連の権益を「満州国」に売却するとの文書の3月23日の署名によって、我々は日ソ関係における一章の締めくくりに至った。当大使館が過去3年間に提出した報告書を誰かが再検討したとして、ほんの数か月前には戦争は避けられず、かなり切迫したものと観察者の大部分が確信したことを考慮すると、それは重要な章でありつづけてきた。この数年間において、少なくとも、日本のある反動的な軍人勢力が攻撃を望み期待したことを示す、証拠は豊富にあった。戦争が一時的に回避されたのは様々な要因のためだった。

 

1.シベリアにおけるソ連の集中的な軍事準備。
2.米国によるソ連の承認。
3.ソ連国際連盟への加入。
4.ソ連が西の隣国と締結した不可侵条約は、東側国境を防衛するためのより一層の自由を残している。
5.広田の到来と、彼の平和外交と調停とを通じて成果を達成する方針。
6.満州の政治的・経済的統合への日本の専念。


これら要因の重要度は変化してきた一方、それらの累積的な影響は注目せざるを得ない。ソ連の覚悟と相俟って、広田の政策と影響力が顕著であった。広田は、1904-5年の戦争で日本が達成しようとしたことを平和的手段で達成し、日本陸軍が、間違いなく、1935年か1936年の戦争で達成するつもりだったことの少なくとも一部を達成した。ロシア人はアムール川 [黒竜江] の北方に送られたし、日本は今や満州を独占している。

 

そうして我々は一章の終わりに至った。今、問われているのは、これから始まる新章で、日ソ関係がどのように発展していくのかということである。解決すべき多くの問題が残っている。満州・シベリア国境の画定、境界地帯の武装解除、1928年の漁業協定の改定、北サハリン油田の運営規制の改定、円とルーブルの換算比率をめぐる度重なる論争、そしてモンゴル民族と牧草地に対する覇権の根本的な問題である。日本が、ウラジオストク沿海地方・東シベリアからバイカル湖までをコントロールするまで、潜在的なロシアの攻撃から日本は決して安心できないという軍事概念がその背景にあるのかもしれないが、確実に恒久的にこの事態に関わっている。日本の支配階級に影響を及ぼす共産主義への根強い恐怖も残っている。

 

今後数年間に予想される動向を評価するにおいて、最近世界で生じたソ連の立場に直接影響を及ぼすいくつかの展開を考慮することが極めて重要であることは明らかである。
現在の政治史の急速な変化に伴い、日ソ紛争の回避をもたらした上述した要因のいくつかは、すでに顕著な修正を受けている。ソ連と米国の債務交渉が失敗し、潜在的かつ重要な商業上の友好関係が終了した結果、ソ連の道徳的ないし心理的資産は失われてきた。さらには、ドイツの再軍備の決定は、ソ連外交が不器用に勝ち取っていない欧州の安全保障の立場を変える。最後に、中国の継続的な荒廃は、極東におけるソ連の不利益を増大させる要因である。


短い米ソの蜜月の終了に関し、その効果は二つの要素を持つ。ソ連は、米国の無形援助に見出していたかもしれない利益、すなわち、重要な発展の実現可能性を秘めた支援をすべて失った。成っていたとしても事実上の同盟からは程遠かった米ソの盟約の発展を、日本は間違いなく恐れた。その最終結果は、ソ連の影響力の弱体化と、結果として生じる日本の強化であってきた。


ドイツの再軍備の決定は、欧州の大国としてのソ連への打撃である。ドイツを国際連盟に加盟させ、勢力均衡と対抗勢力に積極的に関与させたロシアの計算は、今や修正されなければならない。どのように列強の軌道が再調整されるのかはまだ決定しえないけれども、ソ連のような広大な大国ですらアジアとヨーロッパの両側で支配的な地位を維持することが不可能であることは間違いない。これは海洋大国にもかかわらず英国の根本的な弱点である。鉄道の接続がまだ不十分ではあるが、広大な地域で陸上に広がるロシアにとっては、欧州かアジアのいずれかとの調停が不可欠である。ソ連が欧州での戦争に従事することがあれば、日本は間違いなくその機会を利用して沿海地方その他を強奪するだろう。かつて日本はそうしたので、再びそうするだろう。

 

中国の衰退の影響が、ソ連の立場に明確かつ単純な反応をもたらす可能性は低い。衰退は外蒙古と新疆において長らく見られたソ連の略奪的傾向を促進する一方、他方で日本の手中に中国を引き渡すのでソ連の立場が脅かされている。もちろん、日本と対立した場合、ソ連は中国からの支援をほとんど期待できない。こんにち我々は、日本の拡大を大陸の大国と見なしており、その事実はソ連にとって危険の前兆である。


以上を念頭に置くと、日ソ関係の一章が閉じられたと同時に、状況が組み合わさって両国間のバランスオブパワーが日本に有利に変わったように見えるかもしれない。我々は、ソ連の政治家に、2つの一般方針に沿ってこの展開に対処しようとすることを期待するかもしれない。第一に、本文書の先に述べた具体的な諸問題に適用されたときには、ソ連はおそらく広田の調停政策を奨励して返礼するであろう。第二に、ソ連は、極東に関して何らかの集団安全保障システムを構築しようとするかもしれない。これに関連して、1934年9月13日まで遡ると、東京に駐在していた英国大使が、ソ連は英国・米国・日本・中国と極東条約を締結する準備ができている、と確信していたことが想起されよう。最近のイーデンとリトヴィノフとの会談において、たぶん、我々はこの方向への予備的な努力を目撃した。

 

ソ連が日本をなだめようとしている証拠はすでにある。ソビエト化された外蒙古政府が関与したブイル・ノール事件 [訳注:ハルハ廟事件を指していると思われる] の間、この問題への関与を避ける顕著な傾向がソ連側にあった。今年のウラジオストクでの漁業の競りでは、ルーブル当り32銭5厘のレートで日本の付け値が問題なく受け入れられたけれども、昨年のソ連はこのレートを有利に修正しようとした。この件はもちろん交渉されることになろうが、ソ連が現時点で日本との別の紛争に関わろうとの傾向を見せなかったという事実は残る。