ヘンリー・ウォレスの日記。8月10日

 

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

Diary Entry, Friday, August 10, 1945, Henry Wallace Diary

 

1945年8月10日金曜日

 

【前半を一部省略】

 

クーパー大佐によると、当初、わが陸軍の兵士たちはインドから中国への密輸を大量に行っており、その状況はあまりにもひどかったので、英国の役人の中には正直なアメリカ人はいないと言う者もいた。クーパーはようやく事態を収拾し、英側の汚職者について圧力をかけ始めたのだが、彼らは協力しないとわかった。

 

いつもは遅くとも2時5分までには大統領顧問委員会に出席する大統領が、遅れて申し訳ないところだが、ジミー【注:バーンズの愛称】と一緒に日本の提案に対する返答の作成に忙しかったのだと言いながら、2時25分頃にやってきた。それからバーンズは、午後遅くに新聞に掲載されたとおりの日本側の提案を、ゆっくりと読み上げた。内容は次の通り。

 

【注:実際にはもっと長文の記事です。重要と思われる部分につき翻訳を転載】

帝国政府ニ於テハ常ニ世界平和ノ促進ヲ冀求シ給ヒ今次戦争ノ継続ニ依リ齎ラサルヘキ惨禍ヨリ人類ヲ免カレシメンカ為速ナル戦闘ノ終結ヲ祈念シ給フ
天皇陛下ノ大御心ニ従ヒ数週間前当時中立関係ニ在リタル「ソヴィエト」聯邦政府ニ対シ敵国トノ平和恢復ノ為斡旋ヲ依頼セルカ不幸ニシテ右帝国政府ノ平和招来ニ対スル努力ハ結実ヲ見ス茲ニ於テ帝国政府ハ
天皇陛下ノ一般的平和克服ニ対スル御祈念ニ基キ戦争ノ惨禍ヲ出来得ル限リ速ニ終止セシメンコトヲ欲シ左ノ通リ決定セリ
帝国政府ハ一九四五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ米、英、支三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス
帝国政府ハ右了解ニシテ誤リナキヲ信シ本件ニ関スル明確ナル意向カ速ニ表示セラレンコトヲ切望ス

 

続いてトルーマンは、スティムソン、リーヒー、フォレスタルの協力を得て、バーンズがその日の午前中に練り上げたという回答を読み上げた。これらの提案は然るべく8月11日に公表される。


【注:原文にはここに大きな空白があり、内容の一部が伏せられているものと思われる】

バーンズは提案を読みながら立ち止まり、ヒロヒトの上に立つ最高司令官がアメリカ人になることを特に強調した。欧州のように誤解が生じる可能性を残そうとは思っていなかった。この提案は他の連合国に伝えられている上、ベヴィンからも連絡されており、ベヴィンも同意しているという。

 

それからトルーマンは、ロシア人のせいで我々が我慢できるとは思わなかったが、いずれにせよロシア人抜きで進めるだろうと猛烈に口を挟んだ。 ロシアは可能な限り満州内に進出できるよう遅らせることに賛成している、とスティムソンは述べた。トルーマンは、ロシアが満州に進出しすぎないことがわれわれの利益になると述べ、満州についてのロシアとの合意は無かったと言う。1944年の春にルーズベルトが、大連を利用する権利に関するスターリンとの合意をたびたび口にしていたことを覚えていたから、私は驚いた。

 

トルーマンは原爆投下を停止するよう命令を出したと語った。更に10万人を一掃するとの考えはあまりにも恐ろしいと述べた。彼が語ったように、彼は「子供たち全員 」を殺害する考えを好まなかった。

 

トルーマンは、日本に対する厳しい条件と緩やかな条件について言及し、8月9日の講和の噂に端を発した170通の電報に触れた。170通のうち153通は無条件降伏という厳しい条件だった。 それらは自由意志の電報であって引き起こされたものではなく、ほとんどが軍人の親からのものだった。

 

私の隣でイッキーズの椅子に座っていたトム・コーコランの友人、エイブ・フォータスは、彼らはウラン供給に関する報告書をまとめているところだと言う。彼らは法案も起草していた。この法案は司法の承認を得るべきだとヴィンソンは述べた。トム・クラークは彼らもまた法案を起草しているところだと語った。

 

クリントン・アンダーソンは、対日戦勝日が到来した瞬間、農業問題は非常に深刻なものになるだろうから、政府が農業従事者との約束を果たすためには多額の費用がかかるだろうと語った。

 

私は、ウランと同じようにトリウムについても、米国内だけでなく全世界で調査を実施すべきだと提案した。フォータス、トルーマン、スティムソンの三人は一斉に声を上げた。「それはやっているところだ」。

 

委員会が終わると大統領は、私を名前で呼んで、私に会いにテーブルのそばまでやってきた。 私はとてもお元気そうですねと褒めた。毎日ひどい頭痛に悩まされていると大統領は言った。それは身体的なものか、それとも比喩的なものかと私は尋ねた。彼は「両方」と答えて100万語を読まなければならなかったと言った。昔から彼の目は悪かった。ビタミン剤を飲んでいるのか尋ねると、彼はイエスと答えた。対日戦勝日の後、すぐに会いたいところだと彼に言った。彼は 「来週初めに来てくれ 」と答えた。ルイス・シュウェレンバックも呼ぶとよいだろう、と。私はアンダーソンとスナイダーを加えることを提案した。

 

エイブ・フォータスは、クロウリーと私に、ニューボールド・モリスのニューヨーク市長選へのエントリーを多少なりとも仕組んだのは自分だと言った。(つまり、コーコランこそが発案者ということになる)。クロウリーはニヤリと笑って私にこう言った。「彼らがここ委員会で、失業者はゼロになるだろうと言っていたのを覚えているか?」これは、スナイダーが、およそ80%の戦争契約が自動的に停止すると言ったときのことだ。私は、失業者はキャンセルの総額を3,000ドルで割れば判断できると言った。

 

とても面白い出来事・・トルーマンは「スターリンが君を何と呼んだか教えてやれ」とバーンズに言った。ジミーは皮肉っぽく笑って「今まで会ってきた中で最も正直な馬泥棒」と言った。

 

私には、将来の平和の土台は、ロシアとの友好関係の強化にあることが明らかだ。トルーマンやバーンズ、陸軍省海軍省の態度が、この方向に向かっていないことも明らかだ。彼らの態度はいずれ戦争を招くだろう。

 

金曜の朝9時45分にマット・コネリーから電話があり、大統領がこのテーマについて話すまでは戦勝記念日について何もコメントしないよう、閣僚全員に電話して頼んでいるとのことだった。

 

 

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