Another View of Japan

歴史問題の反論に使える・・かもしれない、資料を集めるブログです。

英仏露の支援協定(その5)

 

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Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.266-269)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, June 5, 1939–7 p.m.
[Received June 5–5:47 p.m.]

本日午後、ボネは、仏政府への最新の提案を含むソビエト政府の文書を私に提供した。
第一段落は、任意の大国による直接攻撃が起こった場合には、仏国・英国・ソビエト政府は互いに軍事支援を行うとの共通の契約を含む。次の段落は、フィンランドエストニアラトビアポーランドルーマニア・トルコ・ギリシャ・ベルギーに対する「侵略」が起こった場合、三国は軍事行動を取らねばならない。文書の最後の段落は、この政治合意は、将来取り決められる軍事協定が英国・仏国・ソ連によって署名された後のみに有効となる、と規定する。


ボネとダラディエは、現在の形でのロシアの提案はふたつの理由によって受け入れられないと感じている。

(1)国家が万一攻撃され、かつ支援が要請された場合のみに支援は提供される、と定めた英仏の草案の規定をロシアは削除した。
ここで彼は、ソビエト政府がエストニア政府に送った文書と、エストニア政府がソビエト政府に送った回答のコピーを私に手渡した。エストニアへのソビエト文書には、エストニアの政治的・軍事的・経済的な性質の特殊な特権を任意の大国が得ることの阻止はソビエトの重要な関心事であり、「束縛なくとも強要であっても」万一そのような特権を任意の大国に与えるのであれば、エストニア政府が支援を要請したかどうかにかかわらず、ソビエト政府はそのような「侵略」に対抗せねばならないであろう、と書かれていた。(エストニア政府からの回答文書には、エストニアに対する侵略があったかどうかを判断する唯一の権利はエストニア政府が保持する、と書かれていた。)

 

ソ連政府からエストニアへの当文書に鑑みると、ソ連政府から英仏への提案における「侵略」という言葉は不吉な様相を帯びる、とボネは続けて述べた。その国は侵略と考えなかったとしてもソビエトが侵略とみなすと決めると、仏国政府と英国政府は、ソビエトが侵略すると決めた国へのソビエトの侵略を支援せねばならないであろうから、フィンランドエストニアラトビアポーランド・トルコへの軍隊の派遣を、どんな時でもソビエトが決めるべきであるという意味に解釈することができる。言い換えるとソビエトの提案は、英仏が承諾し支持するソビエト文書という名目でソビエトが国を侵略するための、白紙委任を意味する。
東欧にボルシェビキの政策を拡大するための支持をソビエトに与えることには、英仏はもちろん同意できない。

さらに英仏の道徳的立場は国民の自由の擁護に基づいている。ソビエトの提案を受け入れるということは、文書に記載されたとの名目で、諸国全体へのソビエト保護領の設置に同意することを意味するであろう。

 

(2)第二の異議は、あらゆる外交慣習に反し、政治協定は軍事協定の署名に影響され左右されるけれども、その期限がまったく明示されていないということである。もし英仏がソ連が提案した政治協定に署名したならば、ソ連政府は英仏に、まったく賛成しかねる性質の軍事支援を要求するかもしれず、きっとそうするであろう。
将来の軍事協定の結論に影響される文書として提案された政治協定に署名することは、したがって、ロシア人が書き込むか書き込まないかを決めることができる白紙委任状に署名することであろう。


私がボネと一緒に居た際、ソ連の提案についての英国の見解を得るため、彼はフランスの駐ロンドン大使、チャールズ・コービンに電話をかけた。

コービンは今朝ハリファックス伯爵と面会したと答えたけれども、ハリファックスはまだチェンバレンにロシアの提案を見せておらず、彼は慌ただしくそれを読んだだけで専門家からの報告を受けていなかったので、明確なことは何も言えなかった。


ダラディエはソ連の駐パリ大使Suritz, Yakov Zakharovichと面会し、フランス政府はなおソ連の文書を検討しており正式な回答を用意していないと彼に述べた。けれども将来の軍事協定の締結に影響される政治協定のみならず、諸国を「侵略」から守るという名目でソ連軍による侵略を許すとの一節にもフランスは同意しないであろう、とボネは述べた。


仏国・英国・ポーランド間の政治合意については、ポーランドが政治的合意の即時決定を議論するよう英国に要求していないため、まだ進展していないとボネは述べた。彼はこれは理解できないし、この状況を明快にしようと試みるようにとの通知を今日受けたと述べた。彼はポーランドとの政治的・軍事的・財政的協定を近い将来に締結するよう英国を説得できることを願った。これは仏国とポーランド間の同様な協定の署名を可能にするであろう。


終わりに臨んで、現在の困難にもかかわらず、それでも英国・仏国・ソ連の間の協定は達成されるであろうと信じている、とボネは述べた。対露親善を成し遂げようとのドイツの努力について、進展がなかったことをドイツからの情報は示した、と彼は付け加えた。詳しい情報は、ドイツはポーランドや他国に対する今月の攻撃を考えていないことを示した。

 

 

ソビエトの中国支援

 

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Foreign relations of the United States.1937.V3. | Hathi Trust Digital Library (p.635-636)

ウィリアム・ブリット駐仏大使から国務長官

PARIS, October 23, 1937—1 p.m.
[Received 4 p.m.]

(前半省略)

Yvon Delbos[仏外務大臣]と会話した後、レオン・ブルム[仏副首相]と二人きりで夕食を取り、彼は仏領インドシナを通じて中国に軍需品を輸送することを禁止するフランスの決定を明らかにした。Delbosが言及した政府の主要メンバーによる小規模な会合で、昨日午後、再びこの問題を提起したとブルムは語った。少なくともブリュッセル会議までの間はインドシナを通じた発送は許可されるべきであると彼は提案した。フランス政府は発送の禁止を決めたと通知された、との日本政府と中国政府、両者の異議があった。ブルムが言うには、日本と中国に更に述べずとも現在向かっている全ての荷物は仏領インドシナを通過できるであろうとブルムは主張し、最終的に合意がなされた。


続けてブルムは、万一中国での戦争が長期化するならば、仏領インドシナは中国が軍需品を受け取ることができる経路の一つになることが明白であると述べた。これは、中国領土内の鉄道線路を日本が破壊することはほとんど確実で、仏領インドシナへの日本の攻撃につながるかもしれない。彼はシャム[タイ王国]が日本と協力する可能性にも言及した。


これはフランスを最もむき出しの立場に置くであろうし、もしブリュッセル会議が、すべての代表国が能力に応じて軍需品を中国に供給し、インドシナを経由する経路を開いたままにすることをフランスに推奨すると結論するのであれば、日本の攻撃が起こった場合にはインドシナの防衛からフランスを一人にしない、と同時に約束することが不可欠であろう、とブルムは続けて述べた。もし英国、仏国、ソ連、米国が結束して強硬な措置をとるなら、日本がいずれかを攻撃しても何も危険はないであろうと信じていると彼は付け加えた。しかしながら彼は、ソ連の立場について極めて懐疑的であると述べた。最近彼は、ジュネーブで、リトビノフと多くの話し合いをしていた。リトビノフは古くからの友人として率直に彼に語った。リトビノフは、彼もソ連も、日本が中国を攻撃したことを本当に喜んだと語った。日本は財政的にも経済的にも弱体化し、攻略した中国を消化するのに莫大な困難を抱えることになるので、ソ連は今やこの先何年にも渡って極東の平和を完全に確保することができる、と彼は信じた。ソ連は、支那事変ができるだけ長く続くことと、できるだけ多くの中国を飲み込もうと日本が試みることを望んでいる、とリトビノフは付け加えた。これは欧州での活動のためにソ連を自由にするであろう。


日本の究極の目標はウラジオストクを占領しバイカル湖に国境を設置することなので、日本による中国の征服を阻止することはソ連の重要な関心事であるとリトビノフと議論した、とブルムは述べた。
リトビノフはこれを笑ったので、支那事変がどれほど長く持続しようとも、日本がどれほど中国を征服しようとも、ソビエト連邦は受け身のままであろう。中国に攻撃する前は日本が最も敵対的でいまいましかったのに反し、今日では日本人は皆、ソ連政府との関わりにおいて礼儀正しく胡麻を摺る、とリトビノフは述べた。
現在の強固な姿勢は、フランスは仏領インドシナを通じた中国への輸送を禁止したと日本と中国双方に通知しながら、実際にはこれらの輸送はブリュッセル会議で議論されるまで続くように思われる。


私はブルムに、ブリュッセル会議で達成されるかもしれないと考える事柄について尋ねた。長い沈黙の後に彼は、アメリカが仏領インドシナと蘭領東インドを軍事力で保証する気にならなければ何も成し遂げることはできないと思うと述べた。
もし国務省が、インドシナを通じる輸送についてなんらかの明確な方針を採ることを私に望むのであれば指示を送っていただきたい。私は質問を厳に自制し意見を表明しなかった。

 

 

 

Foreign relations of the United States.1938.V3. | Hathi Trust Digital Library (p.164-165)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 9, 1938—8 p. m.
[Received May 10—7:45 a. m.]

昨日、立法院院長の孫科と二人きりで昼食をとり、長い会話の中で次のように述べた。
少なくとももう一年、中国は日本に抵抗し続けることができると彼は確信していた。イギリスで調停の協議があった。彼は、現在のところ調停の提案は成功する見込みはないと考えていたけれども、十二か月が経過するまでには英国と米国に対して調停を求めているような難しさに日本人は気がつくであろうと予想した。

 

長い英国訪問の結果、英国は、日本が中国を圧倒することを望まない一方、日本の敗北がソ連による中国支配を意味することを恐れて日本が敗北することも望んでいない、との印象を彼は抱いた。彼は、中国共産党の指導者達は今や全く忠実に蒋介石と協力していると断言し、中国の共産党員は中国の愛国が第一であり共産主義は第二であるとの見解を表明した。中国には共産主義の危険はなかった。


ロシアは中国に、現在までおよそ一億五千万中国ドルの軍需品を供給した、と語った。彼らはこれらの購入に対する支払いを中国に要求しておらず、それどころか中国がそれらの支払いを約束するよりも早く軍需品の一部を出荷した。新疆を横切る道路は冬の間、雪掻き部隊によって開かれていた。ビルマから中国内陸部の道上には十七万五千の苦力がおり、二か月以内にその道は軽いものを背負って運搬するだけでなく、トラックで飛行機や重い大砲を運ぶこともできる、と彼は請け合った。


現在のところ政府の主な悩みは通貨の状態であると孫科は述べた。中国は軍需品の購入のために資金を必要としなかったれども、通貨安定借款や中国通貨の安定化のための他の形での支援は計り知れない助けになるであろう。この目的のため、合衆国政府、あるいは民間のアメリカ財界から、援助を得る可能性が中国政府にあると思うだろうか、と彼は私に尋ねた。信頼できる回答を与えるためにその主題に十分に精通しているふりをすることはできない、と私は彼に言ったけれども、私の明確な印象では合衆国政府はこの目的のために使用できる資金がなく、民間の銀行が関心を持つ可能性は低いと思われた。


孫科は明日モスクワを経由して中国へ向かう。最近モスクワを訪れた折の、スターリンとの六時間の会談について彼は詳しく説明した。彼は述べた・・スターリンは彼にわかっていると請け合った。中国は自国の戦いだけでなくロシアの戦争をも戦っていること。バイカル湖までのシベリア全域を占領することが日本の究極の目標であること。中国が軍需品・飛行機・その他の物資の形でロシアからあらゆる可能な支援を引き続き受領し続けるであろうこと。しかしながらソビエト連邦は軍事的に戦争に介入することはないであろうこと。

もしソ連が日本と戦争になればドイツがソ連を攻撃するかもしれないとスターリンは懸念していた。ソビエト連邦によって日本が破壊されることを英国も米国も許さないであろうともスターリンは思った。

 

 

 

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英仏露の支援協定(その4)

 

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library

 

 

(p.256) ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 22, 1939–2 p.m.
[Received 5:05 p.m.]
土曜の夜、ダラディエ、ボネ、レジェ、ハリファックス伯爵は、英ソ間の交渉について長く議論した。
ハリファックスは元のフランスの提案を採用することに最終的に同意し、それどころか次の処方をソビエトに提案する準備があったので元のフランスの提案よりも踏み込む意欲を表明した、と今朝レジェは私に語った。フィンランドエストニア・ラトヴィア・ポーランドルーマニアのいずれかがドイツに攻撃された場合に支援要請がなされ、よってソビエトが戦争に従事する必要がある際には、イギリスは最大限かつ即座の軍事援助をソビエトに行うであろう。反対に、それらの国々いずれかへの攻撃と支援要請を理由にイギリスが戦争に携わる場合、ソビエトは即座に軍事支援をイギリスに提供するであろう。
もし三週間前にイギリスがこの方式を受け入れる準備ができていればロシアはそれを受け入れたであろう、しかし今となってはソビエトは完全なソビエト方式以外での交渉はしないと主張していた、とレジェはコメントした。ドイツ政府がソビエト政府になしていた提案についてフランス政府が不安な情報を受け取っており、そして東欧諸国にはソビエトの充実した支援が緊急に必要であるとの観点から、フランス政府はイギリス政府に、ソビエトの提案を全て受け入れるように求めたとレジェは述べた。(以下省略)

 

 

(p.258) 駐ソ代理公使Stuart E. Grummonから国務長官

Moscow, May 24, 1939—1 p. m.
[Received May 24–12:10 p.m.]
大使館は、5月14日にソビエトが反対提案を提出して以来、イギリス大使とモロトフとの間で外交上の会談や交渉は行われていないと認識している。現在のところ、ソビエト政府が5月11日のイズベスチヤ[新聞]の論説に掲載された見解に従ってその立場を修正しようとしている、あるいは東欧における英仏の保証制度にソビエトが提携する代償として、ソビエトの西側国境を攻撃から防衛するための、英仏の直接かつ明確なコミットメントよりも少ないものを受け入れようとしている、との見解を正当化する根拠はない。モスクワの中立的外交官の意見では、ソビエトの強硬な姿勢は主に以下の要因に起因しているかもしれない。
1.ポーランドルーマニアに関する英仏のコミットメントと、英とトルコの合意の結果、ソビエト政府が感じた安全感の増大。現状では東欧の反侵略戦線に社会主義ソビエト共和国連邦を含めることは英仏にとって不可欠であるとの一部のソビエト政府の認識。
2.英仏の直接コミットメントを欠いたまま、東欧における戦争の初期段階に英仏から保証された国々がドイツに侵略された場合、東欧での戦争をソビエトが単独で続けることになるかもしれないとのチェンバレンとダラディエへの疑念に基づくソビエト政府の懸念。少なくともフランス大使館の意見では、英仏側の「単独講和」の恐れが、ソビエトが英仏との直接の相互援助協定を主張する原因になっている。(以下省略)

 

 

(p.262)ジョセフ・ケネディから国務長官

LONDON, May 25, 1939–9 p. m.
[Received May 25–5:40 p.m.]

フランスとの共同でソビエト政府に提示される、イギリスの提案する草案の文書が承認を求めてフランス政府に本日届けられた。本文はおおむね次の通り。
国際連盟加盟国として、国際連盟規約に盛り込まれた相互援助の原則を実施する能力を希望する英仏露各国政府は、以下の合意に達した。

1.英仏が次を理由に、ある欧州の大国との戦争行為に関与する場合には、国連連合規約第16条第一項および第二項に従っているロシアは英仏にあらゆる支援を与え援助する。
(1)英仏がその国の希望に沿って侵略に対抗して支援を引き受けていた欧州国家に対する、その大国による侵略
(2)中立性の侵害に抵抗するため支援を要請した欧州国家への英仏による支援の提供
(3)英仏いずれかに対する欧州の大国による侵略
2.英仏側からロシア政府に上記1と同一の義務を設定する。(以下省略)

 

 

(p.265) 駐ソ代理公使Stuart E. Grummonから国務省

Moscow, June 3, 1939—noon.
[Received June 3–11:30 a.m.]

モロトフは昨日3時に英と仏の大使にソ連の返答を渡した。フランス大使館から受け取った情報によると返信はソビエトの反対提案の形式であり、モロトフは英仏案への不服を表明した後、次の点についてソビエトの主張を再確認した。
(1)英仏露によるフィンランドラトビアエストニアの独立の直接的な保証。(2)相互援助のための三国協定の言い回しの中で、国際連盟への言及の削除。(3)英仏露間の軍事会議で続いて決定することの取り決め、相互に与えられる支援の性格と範囲、および戦闘行為の場合に保証された国々に関して。
モロトフは極東の問題を持ち込んだり言及することはなかったと告げられた。
当地のフランス大使館によると、英仏の反侵略戦線への支持の代償としてこれらの要求が満たされるまでソビエトは断固意見を変えないとの印象を受けた。上記(2)と(3)の点を満たす上で現実の困難があるとは思われないが、ソ連北西の国境に接する三国の保証の問題は、それらの国々がどんなソ連の保証をも受け入れることを嫌がる点から確かな困難を提起する、と私の情報提供者は語った。(以下省略)

 

 

英仏露の支援協定(その3)

 

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Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.248~)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 5, 1939–10 p.m.
[Received May 5–9:45 p.m.]

大統領、国務長官へ。
ケネディ大使の承認を得て、私はロンドンのロバート・ヴァンシタートに今晩電話をかけた。ソビエトの今後の政策について彼は強い懸念を抱いていた。リトビノフの解任が、欧州問題における積極的利害からの離脱や、孤立政策を採用する前兆となることを恐れていた。そのようなソビエト政策の転換は東欧とバルカンにおけるヒトラーへの抵抗を確実に崩壊させ、その結果は全ヨーロッパや全世界にとって極めて重大である。

私はヴァンシタートに、ヒトラーチェコスロバキアに侵攻して以来、イギリス政府が相対してソビエトを悩ませてきた時間稼ぎのほとんど無礼な政策によって、スターリンによるリトビノフの解任が引き起こされたと感じただろうかと尋ねた。彼はイギリスの政策がスターリンの態度の一因になったかもしれないことを懸念したけれども、どのような代替案をソビエト政府に提示することができるかわからなかった、と述べた。

イギリスはなぜ、ソビエト政府が受け入れる意向を示したフランスの提案を受け入れることを拒否したのかと尋ねた。フランスの提案は何も知らないとヴァンシタートは答えた。私は驚き、彼はフランスの提案はまだ英国政府に何も届いていないと述べた。

彼の親しい友人、レジェとダラディエが、イギリスのソビエトへの提案は決して受け入れられないであろうと感じていたことを、私は確かに知っていたと答えた。彼らはそれを無分別であり、フランスとイギリスとの協力政策からソビエトを意図的に遠ざけると考えていたし、フランス政府はその見解を英国政府に表明し、建設的な反対提案をしたと私は確信していた。(以下省略)

 

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.251-252)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 8, 1939–8 p.m.
[Received May 8–5:07 p.m.]
ソビエトの駐ベルリン大使がフランスの駐ベルリン大使に、リトビノフの解任はソビエト外交政策に何らの変化をもたらさないであろうことを正式に伝えた、とボネは本日午後に語った。イギリス政府はソビエトの政策に変化はないだろうと公式に知らされていた。先週木曜日にソビエトの駐パリ大使は同じ言明をなした。

ソビエト連邦になんらかの保証を与えることを嫌がったので、フランスのソビエトへの提案を受け入れることにイギリス政府は今なお反対していたと、エリック・フィップス卿が今夜知らせてきたとボネは語った。それにもかかわらず、イギリスの駐モスクワ大使は、本日モロトフにイギリスの最新の提案を提示しており、もしロシアが最初にポーランドルーマニアへの支援を約束すればイギリス政府は英ソ間の直接の保証を検討するであろう、と述べるように指示を受けている。

その後ボネは、彼に言わせれば、ロシアの約束に全く信用を抱いておらず、ドイツからの攻撃が起こった場合に、ポーランドルーマニア・トルコに支援することをソビエトが約束すべきとしても、その支援は(即座ではなく)やがて来たるものになるだろうと疑った。したがって現在のフランスの政策はダラディエとレジェのものであり、彼自身のものではないことを再び明確にする。

将来のロシア政策の問題について、私がモスクワ大使だった時に最も信頼できると判断していた情報源から、楽観的な解釈を本日受け取った。この解釈は次のとおり。スターリンはこれまでになく反ユダヤ主義だ。昨年の粛清以来、共産党政治局の支配的メンバーは、ジダーノフ、アンドレーエフ、モロトフであって、彼らは極めて反ユダヤ的である。彼らはかねてからソビエト連邦の対外関係をユダヤ人の手から奪いたいと望んでいた。リトビノフがイギリスとの合意に至らなかったことは、リトビノフと彼に親密なユダヤ人協力者とを取り除く素晴らしい機会を提供した。ソビエト外交政策は変わることがないだろうし、これまで協議が行われてきたリトビノフよりもモロトフと合意に至ることは容易であると判明するかもしれない。

 

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.254-255)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 16, 1939–8 p.m.
[Received May 16—6:43 p.m.]

イギリスの提案を拒否するソビエト政府の文書テキストを、今晩ダラディエは私に渡した。
ソビエト政府は、ソビエトへの互恵的な保証を何ら提案しなかったため、イギリスの提案は議論の基礎にもならなかったとの立場を取った。

ソビエト政府は、互恵的な保証が欠けており、ポーランドルーマニアについての英仏の義務が限定されているので、ドイツの侵略がバルト諸国を経由して対ソビエトに転じる可能性があると指摘した。唯一の合意の基礎としてソビエト政府は提案した。ソビエト・イギリス・フランスの完全な相互保証。フィンランドエストニアラトビアポーランドルーマニアのための保証と、現実に約束した支援をなすための英・仏・ソ連間の軍事会談と合意。
ダラディエはこのロシアの文書にコメントして、フランス政府はフランスの考えを主張し、もって英・仏・ソ連間の議論の基礎が作られることを主張したいとハリファックス卿に述べるよう、フランスの駐ロンドン大使、チャールズ・コービンに昨日命じたと述べた。
ダラディエは、もはやソビエトがフランスの提案を受け入れるとは確信できないと付け加えた。ソビエトはそれを受け入れる準備ができていたし、ポーランドルーマニアの保証にバルト諸国を追加する可能性は無かった。イギリスがしたことは、ぐずぐずした冷淡な提案でロシアの言葉をより頑強にしただけであったと彼は感じた。
彼に言わせると、バルト諸国を保証することはさほど不服だと考えなかった。もしドイツがバルト諸国を侵略すれば、ポーランドはそれらへの支援を余儀なくされることが明らかだった。したがってバルト諸国についての保証は、ほとんどフランスの義務を増大させないであろう。彼はロシアの提案は受け入れられるべきであると感じる傾向があったとはいえ、フランスの元来の提案についてロシアとイギリスの受諾を得ることを好むであろう。

ダラディエは、東方におけるドイツの侵略に対する抵抗政策が採択されたので、そのような方針の政策を効果的かつ成功させるために必要な手段が不可欠であると続けて述べた。ソビエト連邦に関して、彼は私が抱いたほどには幻想を抱いていなかった。ソビエト政府は、彼の内閣を倒すためにあらゆることを行っていた。それにもかかわらず彼はロシアを組合わせることが必須であると信じていた。十分な力の組み合わせの構築だけが戦争の危険からヒトラーを思いとどまらせることができる。

ダラディエは、ポーランド国境へのドイツ軍の不穏な動きについて、今日報告を受けていると付け加えた。これが近い将来の攻撃の予兆であるかどうか彼にはわからなかった。少なくとも数週間、ドイツは脅迫によってポーランドの士気を崩壊させようとするだろうし、六月末まで平和であろうとの推測に彼は傾いていた。だが彼は全体として楽観的ではなかった。

 

 

英仏露の支援協定(その2)

 

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.239-240)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, April 21, 1939—2 p.m.
[Received 3:02 p.m.]

ボネとレジェは、フランス政府が昨夜、英・仏政府の共同提案に対するソビエト政府の反対提案を受け取ったことを私に知らせた。
ソビエト政府は英仏に対して、三国いずれかへの直接攻撃が起こった際には同時に戦うのみならず、欧州の他の国に対する侵略が起こった場合には三カ国すべてが同時に参戦することを保証すべきであると提案した。


ボネとレジェ両氏は、この種の提案を受け入れることは、現在の相互防衛のための交渉を、架空の「国際連盟」の原理に置くだろうと感じたと述べた。とりわけこの種の保証は説得力に欠けるであろう。彼らの見解は、例えばエストニアに対するドイツの攻撃が起こった場合にフランスの兵士を行軍させることは、そのような攻撃がまずにポーランドに関係した場合を除き、完全に不可能であろう。したがって、エストニアに対してドイツの攻撃が起こった場合におけるフランスの軍事援助の保証は、フランス国民は武器で支援しないであろうという架空の約束であると、欧州の人々は考えるであろう。


本日ソビエトの覚書を研究した後、英国政府との緊密な協力の下に、ソビエトは理解しうるであろうけれども、もし仏・英・露のいずれかがドイツとの戦争に踏み切らなければならない場合に、欧州の他国を支援する義務があるのでこの協定の相手方は即座の軍事支援を行うべきであるとは明確に述べない方式を示唆する、反対提案を準備するであろうとボネとレジェは述べた。


言い換えると、仏・露、そして英・露の間で保証がなされるであろうけれども、それらはルーマニアに言及することなくルーマニアを保護するであろう。
ボネとレジェは、ソビエトの返事が、コミットメントをなすことから脱する願望を示したとは信じていないと述べた。方式は見つけにくいかもしれないけれども、それが見つかるであろうと彼らは確信していた。

 

ついでながら、私はレジェとロバート・ヴァンシタート[英外務省の外交主席顧問]と昨夜食事をした。ヴァンシタートはソビエトとの関係の問題についてレジェと合意とを比較した後、今日ロンドンに戻った。ヴァンシタートとハリファックス伯爵[エドワード・フレデリック・リンドリー・ウッド]との関係は今はとても親密になったけれども、彼とチェンバレンとの関係は相変わらず疎遠であると私は察知した。ヴァンシタートは猛烈に即座の徴兵に賛成している。

 

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.240)

アレクサンダー・C・カーク、モスクワ総領事から国務長官

Moscow, April 22, 1939–10 a.m.
[Received April 22–5:35 a.m.]

リトビノフとの会話は満足のゆくように進行しており、英仏とのセンセーショナルな協力の姿勢を示してきたと、当地の英国大使館は述べた。議論の正確な詳細は依然として入手できないけれども、元の英国の提案に盛り込まれたソビエト宣言の一方的な原則は放棄されており、英仏が採用した立場とソビエトの提携の可能性に関連した他の手段が検討されていると述べられた。極東の問題はどちらの側からも提起されておらず、ソビエトの軍事援助の技術的問題は現在のモスクワでの英ソ間の会談の一部ではないと再度確認されている。昨日、ソビエトの駐ロンドン大使がモスクワに到着した。

 

 

Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.242-244)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, April 29, 1939–3 p.m.
[Received 3:45 p.m.]

ボネは、彼がソビエトに作成した最新の提案のテキストを今朝私に見せた。

この文書は3つの簡潔なパラグラフから成り立っており、第1に、ポーランドルーマニアに与えた軍事援助を理由にフランスが戦争に関与することになれば、ソビエト連邦はすべての軍事力でフランスを直ちに支援する。
第2パラグラフでは、ポーランドルーマニアに与えた支援を理由にソビエトが戦争に関与しなければならないとすれば、フランスはすべての軍事力で即座にソビエトを支援するだろうと規定した。
第3パラグラフには、想定される援助を効果的にするための方策を協定する目的で、会談が即時に行われるべきであるという合意が含まれていた・・言い換えると、フランスとソビエトの参謀間で即座に軍事会談が行われるべきであるということ。

イギリスがソビエトと同様の合意に署名するという条件で、この文書は全面的にソビエトに受け入れられるだろうと、ソビエト大使のYakov Suritzが彼に今朝伝えたとボネは語った。

私はボネになぜポーランドルーマニアについて言及したのかと尋ねた。想定されている国がポーランドルーマニアであり、他の国々ではないことを明確にしたかったので、そうしたのだと彼は語った。

ポーランドルーマニアの名前を省略するけれども同じものを包含する、代わりの文書を提案したと彼は付け加えた。この文書は、東欧やバルカン諸国へ支援を原因としてフランスが戦争に関与しなければならないとすれば、ソビエトはフランスに加勢するだろうと規定し、さらにフランスがソビエトに加勢するだろうとの必要な変更を加えた。
イギリス政府は今朝までにこのフランスの提案を受け入れることを拒否し、ソビエトポーランドルーマニアの名で片務的な宣言をしなければならないと主張し続けたと、ボネは語った。

 

私は今日、エリック・フィップス卿と昼食を取った。それは実際にイギリス政府の立場であり、昼食の前にこの件についての長い電報を受け取ったばかりであると彼は述べた。電報の冒頭、2つのセンテンスだけが解読されており、英国政府がフランスの提案を受け入れる準備ができているかどうか彼は分からなかった。

ちなみに英国大使は、ダンツィヒについてのドイツの主張や、回廊を横切る通路を拒否するため、イギリス政府はポーランドを最大限支援しなければならず、そうなるだろうと感じたと私に伝えた。現段階でイギリスがポーランドを支援しなければ、ドイツへのポーランドの抵抗は崩壊するかもしれず、さらには作られてきたドイツに対する抵抗の体系全体が崩壊するかもしれないことが明白だと彼は付け加えた。

現時点でドイツとイタリアへの抵抗を築くために採りうる最も効果的な措置は中立法の早期の変更であると、彼の政府と同様に、英国大使は感じたと二度語った。

 

ボネは、現時点でドイツに譲歩すべきではないと感じたが、ドイツへの抵抗を強めるためにあらゆる努力をなさねばならず、一週間かそこらで大統領はヒトラーへの見事な返答をなす機会を得るであろう、と付言した。

ボネ、英国大使とポーランド大使[Juliusz Lukasiewicz]は、現時点でヒトラーは敢えて戦争を仕掛けようとしなかったということを彼の演説[1939年4月28日]は示した、との見解を私に表明した。ドイツへの抵抗が増せば戦争のリスクについてのドイツの嫌気も増すであろうし、最終的にヒトラーは妥当な基準で交渉を強いられるであろうというのが彼ら全員の考えだ。