Another View of Japan

歴史問題の反論に使える・・かもしれない、資料を集めるブログです。

真珠湾:ルーズベルトの9/11(その3)

 

ジェームス・パーロフ Pearl Harbor: Roosevelt’s 9/11 | James Perloff の翻訳です。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

The False Flag Foreknown (1): “Magic”
日本人は「パープル」という暗号を用い、世界中の大使館や主要な領事館と連絡を取った。暗号は複雑で、機械で暗号化され解読されることを要した。日本人は暗号を解読できないと考えていたけれども、1940年には有能な米軍の解読者が暗号を解読し、日本の機械の複製を考案した。その結果、アメリカの情報機関は日常的に日本の外交通信を読んでいた。

 

「マジック」と名付けられた解読された文書のコピーは、即座に鍵が掛かった袋に入れられ、選ばれた人々・・ルーズベルト大統領、国務長官コーデル・ハル、陸軍長官ヘンリー・スティムソン、陸軍参謀総長ジョージ・マーシャル将軍、海軍作戦部長ハロルド・スターク提督、が含まれていた・・に届けられた。内閣に地位を持たないルーズベルトの陰の顧問、ハリー・ホプキンスにもコピーは届けられた。

 

ホワイトハウスに住んでいたホプキンスについては本文を脱線する価値がある。ホプキンスはウッドロー・ウィルソンエドワード・マンデル・ハウスと適切に比較されてきた。ハウスはウォール街の支配者でホワイトハウスに住んだ。ハウスのように、ホプキンスはチャーチルスターリンを訪問し特別な使者として行動した。戦後、彼がレンドリースの責任者として秘密裏に原爆の原料と設計図をソ連に輸送したことが明らかにされた。これはレンド・リースの納期管理者、ジョージ・レイシー・ジョーダンの "From Major Jordan's Diaries" に記録されている。イギリス新聞界の大物ビーヴァーブルック男爵[マックス・エイトケン]と、強欲な銀行家バーナード・バルークから、三度目の結婚の際にホプキンスに贈られた贈り物についてのジョン・T・フリンの興味深い批評を "The Roosevelt Myth" から見つける人もいるかもしれない。)

 

ホプキンスは「マジック」の傍受にアクセスできたけれども、我がハワイの司令官はできなかった。そしてこれらの傍受が明らかにしたことは?

 

・東京はハワイの総領事に、真珠湾を五つの区域に分け、アメリカ軍艦の正確な場所を頻繁に報告するよう命じた。船舶の動きを見ているスパイは全く珍しくないけれども、ドック内の船舶の正確な位置を報告することはただ一つの意味を持つ。
・11月29日(アメリカの最後通牒の三日後)、日本の指導者達は、交渉の決裂は「避けられない」が「交渉が決裂したという印象を与えて欲しくない」とワシントンの日本の公使らに告げた。
・11月30日、東京はベルリンの日本大使館に、「誰が想像していたよりも早く戦争が勃発するかもしれない」とドイツ(同盟国)に通知するよう命じた。
・12月1日、日本は北アメリカの外交官に機密書類を破棄するよう命じた。(ひとたび戦争が勃発すると、敵国の事務所は、外交特権を失い差し押さえられる)

 

真珠湾にまつわる出来事をハリウッドが描いた、1970年の映画「トラ・トラ・トラ!」の中で、ハワイへの攻撃の後、交渉の打ち切り(戦争を意味する)の通告をコーデル・ハル国務長官に示す日本の大使が描写されている・・ハルは驚きと憤りをもって反応する。

 

しかし、実際には、ハルはまったく衝撃を受けなかった。前日(12月6日)、ルースベルト大統領のように、彼は翻訳された日本の宣言の傍受を既に読んでいた・・14部の通告のうちの13部を。

 

The False Flag Foreknown (2): East Wind, Rain
いわゆる「風」メッセージを通じて、さらなる前兆があった。もしアメリカとの交渉の打ち切りが迫ったならば、東京はラジオで特別な警告を発するであろうことを、11月18日の傍受は示した。これは、暗号やその機械を備えていない日本の領事館や小規模な組織に到達することを意図していたので、パープル暗号は使用されないであろう。天気予報の中で三回繰り返されることになっているメッセージは「東の風、雨」。「東の風」はアメリカを意味し、「雨」は外交的な不和(戦争)を意味した。

 

この予期されるメッセージは非常に重要であるとみなされたので、アメリカのラジオ監視が絶えずそれを見張り、海軍省はそれを特別な備忘カードに記入した。12月4日「東の風、雨」が放送され、ワシントンの情報局によって拾い上げられた。

 

The False Flag Foreknown (3): Personal Warnings
1941年の間、ルーズベルト政権も、真珠湾に関するいくつかの私的な警告を受け取った。

 

・1月27日、ジョセフ・グルー駐日大使がワシントンに報告した。「日米間で紛争が発生した場合、日本は全力で真珠湾を奇襲攻撃するつもりであると、日本のものを含む様々な情報源から聞いたと、ペルー公使が私のスタッフに知らせた・・」

・エリオット・ソープ准将は、オランダの統制下にあったジャワ島で、アメリカの軍事監視要員であった。1941年12月初旬、オランダ軍は東京からバンコク大使館宛の発信を解読し、ハワイへの攻撃を予測した。オランダはソープに情報を渡し、極めて重要であるとソープは考えたので、ワシントンに合計4つの警告を送った。最終的に陸軍省は、それ以上の警告を送らないよう彼に告げた。

・オランダのワシントン駐在武官、F. G. L. Weijerman 大佐は、攻撃の数日前、真珠湾について陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルに個人的に警告した。
・ドゥシャン・ポポヴは、ユーゴスラビア人の二重スパイであり、真の忠誠は連合国にあった。ドイツから与えられた情報を通じ、ポポヴは日本が真珠湾を爆撃しようとしていると推測した。彼はFBIに通知し、続いてジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官がルーズベルトに警告した。
アイオワ州選出のガイ・ジレット上院議員は、中国・朝鮮人民同盟の韓吉寿から、日本は「クリスマスの前に」ハワイを攻撃するつもりであるとの情報を受け取った。ジレットは大統領に説明し、この件は調査されるであろうと大統領は述べた。

テキサス州選出のマーティン・ディーズ下院議員は、日本の真珠湾攻撃の計画を明らかにする地図を入手した。彼は後に書いた。

「私は文書を受け取ると、すぐにコーデル・ハル国務長官に電話をかけ、私が持っているものを伝えた。ハル国務長官は、地図のことを誰にも教えないよう私に指示し、ルーズベルト大統領に話をしてできるだけ早く私に電話をかけると述べた。およそ一時間後、彼は、ルーズベルトと話をし、この地図に関する情報が通信社に渡ると極めて深刻な事態になると彼らは同意した、と電話で述べた。私はこのような重要な情報を国民に知らせないでおくことは容易ならぬ重荷であると彼に話した。国務長官は、彼とルーズベルトが国防に不可欠であると看做したことを私に請け合った」。

 

The False Flag Foreknown: (4) Naval Intercepts

2000年に出版された "真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々" でロバート・スティネットは、情報公開法を通じ入手した文書から、ワシントンは日本の外交メッセージのみならず、軍艦の派遣をも解読していたことを証明した。

 

長年、真珠湾に近づくにつれ、日本の艦隊は完全な無線封止を維持していたと推測されてきた。これは事実と異なる。艦隊は慎重さを守っていたけれども、完全な封止ではなかった。八項目の挑発計画の原文を書いたマッカラム少佐を通じ、ルーズベルト大統領は、アメリカ海軍情報局が傍受し翻訳した多数の通信を入手した。1941年11月25日、山本提督から日本の第一航空艦隊に送られたメッセージが最も重要であった。

 

「機動部隊は、行動の秘密を厳に維持し、かつ潜水艦や航空機に対する注意深い警戒を維持しつつ、ハワイ海域へと進入し、アメリカ艦隊の主力を攻撃し致命的な一撃を加えてまさしく開戦とすべきである。最初の空襲はX日の夜明けに計画されている。正確な日付は追って指示される」。

 

 

真珠湾:ルーズベルトの9/11(その2)

 

ジェームス・パーロフ Pearl Harbor: Roosevelt’s 9/11 | James Perloff の翻訳です。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

Roosevelt Provokes Japan
1941年6月23日、イッキーズ内務長官はルーズベルトに覚書を書いた。
「日本への石油の輸出を止める、またとない機会です・・日本への石油の禁輸から、容易に、効果的な方法で、この戦争に参戦できるかもしれません。このように間接的に引き込まれるなら、共産国ロシアの味方になったという批判を避けることができます」。

 

覚書の日付は重要だ。ドイツとその同盟国(イタリア・ハンガリールーマニアフィンランドクロアチア)がソ連に侵入した、バルバロッサ作戦に乗り出した翌日である。

 

なぜイッキーズは、石油の禁輸措置から「容易に参戦できる」であろうと言ったのか?答えは、海軍情報局のアーサー・マッカラム三等海佐により前もって策定された、日本に対する八項目の挑発計画にある。八段階の計画の最後は「大英帝国による類似の禁輸措置と共同して、あらゆる日本との通商を完全に停止する」であった。マッカラムの次の文は「これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴えさせることが出来るだろう。そうなれば、益々結構なことだ」であった。

 

マッカラム、イッキーズ、ルーズベルトが心に描いたものは、アメリカを攻撃するところまで日本に敵意を引き起こすことであった。こうしてメイン号とルシタニア号の流れを受け継ぎ、「いわれのない侵略の無実の犠牲者」としてアメリカは戦争に行くであろう。秋に大統領との会議の後、ヘンリー・スティムソン陸軍長官(外交問題評議会スカル・アンド・ボーンズ)が日記にどのように表現したかをここに。「我々は、日本のせいにし、最初に不正な行為・・明白な行動・・をさせることを確実にするため、やるべき外交の巧みな受け答えの繊細な問題に直面する」。「問題は、いかにして彼ら[日本]を先制攻撃する立場に操縦すべきかであった・・」。

 

ルーズベルトは1941年7月26日から8月1日にかけて、アメリカの日本の資産を押収し、パナマ運河を日本の船舶に閉鎖し、マッカラムとイッキーズが主張した広範な輸出禁止を実施した。イギリスとオランダも同様の禁輸措置を講じた。日本人にとって、これは殺害の脅迫を構成した。日本は原材料の輸入に大きく依存しており、石油の88%、食糧の75%であった。

 

これらの措置のタイミングは、またも重要であった。1941年7月、あらゆる報告書は、ドイツとその同盟国が赤軍を打ち破っていると示していた。何十万人ものソビエト兵が降伏していた。彼らがしたように、多くが「スターリンはお終いだ!」と叫んだ。スターリンは恐怖でほとんど身がすくんだ。彼は侵略戦争を戦ったことがあるだけで、防衛のための準備ができていなかった。もしドイツの同盟国、日本が東からバルバロッサ作戦に加わっていたなら、スターリンは万力に挟まれ、イルミナティの創造物であった共産主義は破壊されていたであろう。

 

ルーズベルトの輸出禁止は日本がバルバロッサ作戦に参加しないであろうことを保証したが、代わりに日本の注目を南に向けたであろう。石油なしに戦争を遂行できる国はない。戦車、トラック、船舶、航空機には石油が必要だ。日本がシベリアを通じてロシアを攻撃した場合、押収される石油はないであろう。けれども南、蘭領東インドには豊富な石油があった。そして東南アジアには、ゴム、スズ、鉄鉱石など、禁輸が日本に拒んだ沢山の資源があった。

 

イギリスの歴史家、海軍の船長、ラッセル・グレンフェルは1952年に書いた。
「普通の情報を与えられている人は誰でも、日本が卑劣な奇襲攻撃をかけたと信じないものでなかった。だが、政府中枢部では攻撃は十分に予期されていただけでなく、実際上、欲せられていた。ルーズベルト大統領が戦争を欲していたことは疑う余地はないが、政治的理由から最初の攻撃が相手方から加えられることを望んでいた。そのため自尊心を持つ国なら、いかなる国でも武力に訴えるほかない地点にまで日本に圧力を加えたのである。日本はアメリカ大統領によってアメリカを攻撃することになっていた」。

 

1944年6月20日、イギリスの生産大臣、オリヴァー・リトルトンは、ロンドンのアメリカ商工会議所で述べた。「日本人が真珠湾を攻撃せざるを得ないほどにアメリカは日本を挑発した。アメリカが戦争を強いられたというのは歴史の歪曲である」。なぜリトルトンはこの驚くべき告発をしたのだろうか?(このため彼は後に謝罪を強いられた)

 

アメリカの禁輸措置の後、ワシントンの日本の代表者は、禁輸の撤回のために真剣に交渉したが、無駄だった。1941年11月26日、国務省は日本に最後通牒を手渡した。全ての海外の日本軍が日本に撤収されれば制裁は解除されるだろう。最後通牒ないし「ハル・ノート」は、表向きコーデル・ハル国務長官の名義であったけれども、ソビエトのスパイ、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官補によって起草されたことが現在知られている。

 

ホワイト・ハルの最後通牒は計画的な不条理であった。もし日本がそれを拒否すれば禁輸は続行され、経済的な絞殺によって崩壊するであろう。もし日本が応じ、大陸からすべての軍隊を撤収したなら、共産主義は東アジアを席巻するであろう(まさに戦後に起こったように。共産中国、朝鮮戦争ベトナム戦争をもたらした)。こうして日本人は両面が表のコインを与えられた。飢えによって死ぬか、共産主義によって死ぬか。彼らは両方のオプションを拒否し、代わりに戦うことを決めた。

 

強大なアメリカとの戦争でなんらかの成功の希望を持つため、日本は有利が必要であっただろう。フランクリン・ルーズベルトは、魅力的な餌の形で彼らが釣れたことを確かめた。

 

The Decision to Base the Fleet at Pearl Harbor
1940年ルーズベルト大統領は、太平洋艦隊はアメリカ西海岸の通常の停泊地ではなく、ハワイの真珠湾に無期限に拠点を置く必要があると決定した。これは多くの理由で悪い考えであった。


・ハワイは太平洋の中央で無人水域に囲まれており、あらゆる方向から不意の攻撃を受けやすい。対照的に、もし艦隊が西海岸に置かれていたならば、奇襲攻撃を起こすことができなかったであろう。攻撃者はそこに到達する前に無数の商業船に遭遇したであろう。
真珠湾では、艦隊はイワシのように箱詰めされ、爆撃機の理想的な標的となった。
・ハワイでは石油などの物資は太平洋を2,000マイル渡って運ばれる必要があった。
真珠湾には適切な燃料や弾薬貯蔵施設、乾ドック、支援艇が不足していた(曳船や修理船など)。もし艦隊が西海岸に維持されていたなら、優勢な戦時体制を維持できていたかもしれない。
・ハワイの人口の37%が民族的に日本人であり、諜報活動や破壊活動から艦隊を脆弱にした。
・艦隊をハワイに拠点化することは、船員を家族から分離し、士気の問題を引き起こす。

 

アメリカ艦隊司令官のジェームズ・リチャードソン司令長官は、ルーズベルトの決定に憤慨し、1940年10月8日に彼に面会して抗議した。リチャードソンは艦隊が真珠湾を拠点とすべきではない論理的な理由のリストを大統領に提示した。ルーズベルトはこれらの異論を反駁することができず、そこに艦隊を置くことで「日本の行動を抑制する効果」を及ぼすと述べただけである。

 

リチャードソンは言った。「彼が語った言葉にもかかわらず、もし彼が再選されるまでイギリスが持ちこたえることができたなら、アメリカを戦争に追いやると大統領は完全に決心していたとの印象を私は受けた」。

 

1941年2月1日、リチャードソンは何の説明もなく彼の指揮権を解かれた。リチャードソンは、そのことや関連事項について尋ねるため、海軍長官フランク・ノックスと面会した。「長官と会ったとき、私は『海軍での私の経験上、私と同じようなやり方で海軍将官を解任された話を聞いたことがない。理由を知ることが自らに課された義務であると思う』と言った。長官は大統領が私に手紙送って問題を全て話すだろうと述べた」。けれどもルーズベルトはリチャードソンに手紙を送らなかった。司令長官が今までに受け取った唯一の説明は、ノックス長官の言葉であった。「最後に、あなたがここにいると大統領の感情を傷つける」。

 

真珠湾に艦隊の基地を置くためのルーズベルトの唯一の口実・・日本の侵略を阻止する・・は、1941年12月7日、圧倒的に信用を損なった。それにもかかわらず、我々が知っているように、ルーズベルトは決して彼の行動について説明責任を負うことはなかった。代わりに全ての非難はアメリカ海軍に向けられた。特に太平洋艦隊司令官としてのリチャードソンの後任・・ワシントンが脅威を指摘する情報を彼に通知するであろうと信じて地位を引き受けたハズバンド・キンメル提督。

 

この信頼は間違いであったと証明された。ワシントンは、日本が攻撃を準備しているのを見たとき、キンメルと彼のハワイのカウンターパート、ウォルター・ショート将軍を、情報の輪の範囲外に置き続けた。

 

 

真珠湾:ルーズベルトの9/11(その1)

 

ジェームス・パーロフ Pearl Harbor: Roosevelt’s 9/11 | James Perloff の翻訳です。

この記事を読んで私はFRUS(合衆国の対外関係)の存在を初めて知ったので思い入れがあります。また記述の一部は拙ブログで過去に紹介しておりますので重複があります。

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

 

False flags do not stand alone. They are better understood – and more credibly explained to skeptics – when seen in history’s context.

1941年12月7日の朝、航空母艦から発進した日本の飛行機は、ハワイの真珠湾でアメリカ艦隊を攻撃し、八隻の戦艦を含む十八隻を撃沈または重大な損害を与え、188の飛行機を破壊し、2,000人以上の軍人を殺した。翌日、フランクリン・ルーズベルト大統領は、議会でこの「恥辱の日」を通告し、熱烈な宣戦布告を獲得した。


しかしながらその時まで、第二次世界大戦への関与にアメリカ国民は圧倒的に反対していた。彼らは第一次世界大戦に全く幻滅していた。

・先の戦争において、彼らは「民主主義」のために戦うことになるだろうと言われ続けたけれども、戦後のグラハム議会委員会によって、今なお製造・納品されていない60億ドルの武器により納税者は横領されたと知った。
・ドイツの兵士についての残虐行為の物語(何千人ものベルギーの子供たちの手を切断するなど)は、捏造であると判明した。
・最終的にアメリカの宣戦布告へと繋がった、主要な憤りの原因であったドイツによるルシタニア号の撃沈は、女子供を殺害するためではなく、数十トンの軍需品がヨーロッパの前線に到着することを防ぐためであった。


メイン号が沈没したときには、テディ・ルーズベルト[セオドア・ルーズベルト]が海軍長官の積極的な秘書官であった。1898年の米西戦争の後に彼はニューヨーク州の知事となり、1901年までにはアメリカ大統領となった。

 

まさに一致して・・ルシタニア号事件の際の英国海軍本部の長は、フランクリン・デラノの遠縁、ウィンストン・チャーチルであった。さらにぞっとする既視感・・真珠湾が近づいたとき、彼ら二人はその時、それぞれの国の長であった。

 

1940年(選挙の年)の演説で、例によってルーズベルトは述べた。「私はこれまでも述べてきたように、そしてこれから何度でも繰り返すが、あなた方の子供たちは外国の地での戦争に送り込まれることは決してない」。けれども大統領はひそかに、まさしく正反対に計画した。第一次世界大戦ウッドロウ・ウィルソンがおこなったように、イギリスの同盟国としてアメリカを世界大戦に参戦させること。1941年1月ルーズベルトは、チャーチルと面会させるため、側近のハリー・ホプキンスを派遣した。ホプキンスはチャーチルにこう語った。「我々[米英]が共に戦争に勝利すると大統領は決意している。間違いなく。大統領は、あらゆる代償と手段によってあなたを通過させるであろうことを、あなたに伝えるために私をここに派遣した。大統領に何が起ころうとも・・人間の力を持っている限り、大統領は何でも実行するであろう」。イギリスの諜報機関をアメリカで運営していたウィリアム・スティーブンソンは、アメリカとイギリスの軍事関係者の対談が「極秘で」同月に始まったと書き留め、彼はそれを「アメリカ国民への公表を差し止める」ことと明確にした。

 

大統領はドイツに数多くの挑発を加えようとした。資産の凍結。アイスランドの占領。駆逐艦50隻のイギリスへの発送。さらに同盟国の護衛艦をアメリカの軍艦が護衛していた。ルーズベルトチャーチルは、ルシタニア号事件の成功の再現を望んだ。だがドイツは彼らに全く応じなかった。ドイツは、アメリカの第一次世界大戦への参入が、彼らに対する力のバランスを変えたことをわかっており、そのシナリオの繰り返しを避けた。

 

ドイツのUボート艦隊の指揮官、カール・デーニッツ元帥がニュルンベルク裁判で述べたように。「国際法がたった3マイルを必要としたとき、ドイツはアメリカに300マイルのセーフティ・ゾーンを認めていた。私はハリファックス[カナダの都市]とアイスランド周辺の鉱山を提案したけれども、総統はアメリカとの紛争を避けたいと思っていたので、これを拒絶した。1941年の夏、アメリカの駆逐艦がドイツの潜水艦を攻撃するように命じられたとき、私は反撃を禁じられた。斯くて私は、なんらかの間違いがあるかもしれないとの恐れから、イギリスの駆逐艦を攻撃しないように強いられた。」

 

ドイツ潜水艦U-652は、アメリカ駆逐艦グリーアによって三時間以上追跡された後、グリーアに発砲した(だが命中しなかった)。ルーズベルト大統領はこれをいわれのない攻撃としてアメリカ国民に嘆いた。だが大部分のアメリカ人は動かされなかった。別個のルシタニア事件であっても、息子たちを死なせるため、もうひとつの欧州戦争へと送るように彼らを動機づけなかったであろう。

 

ルシタニア号の一群が利用されることになっていた、そしてこれは慎重なドイツからは生じないであろうから、ドイツの枢軸パートナー、日本だけから生じる可能性があった。ハロルド・イッキーズ内務長官が1941年に言ったように。「長い間、日本を経由することが、我々が参戦する最善になるであろうと思っていた」。これは三つの段階が必要だった。(1)アメリカに反日感情を築くこと。(2)日本に戦争を発火させる。(3)偽旗作戦に役立つ魅力的な目標を設定する。

 

Demonizing Japan
日本はモンタナ州よりも小さいにも関わらず、「世界征服」を決意したと日本を描いた絶え間なく続く宣伝を、アメリカ国民は受けた。戦時期の政府制作映画 "Our Enemy: The Japanese"。語り手のジョセフ・グルー(外交問題評議会)は、「全世界を支配することが天皇の権利であり運命である・・その実現の妨げになるすべての国と民を滅ぼすこと・・[彼らの]国家的な夢は、東京が世界の首都として確立されること・・世界征服は彼らの国家的な執念である」と日本人は信じていると、アメリカ国民に語った。

 

ペリー提督がアメリカ海軍の砲撃の脅威の下に貿易協定の署名を強いるまで、日本が閉じられた孤立主義の国家であったことに言及することをグルーは無視した。ペリーは、19世紀のアメリカで、ロスチャイルドの主要な金融代理人であったオーガストベルモントの義父であった。


アメリカの報道機関は、「世界を征服しようとする日本の計画」の証拠として、1930年の日本軍の満州入りを強調した。しかしソビエトが最初に外モンゴルと中国北西部の新疆を奪取したという事実には全く注目しなかった。

 

ダラス大学の歴史学科の学科長、アンソニー・クーベック博士は "How the Far East Was Lost" に書いている。「満州内モンゴルに防衛基地が建設されなければ、北支全域に共産主義が広まり日本の安全保障を深刻に脅かすことは、日本の政治家には明らかであった。だが国務省は北支へのソ連の拡大に対する防壁として日本を考慮していないようであった。実際、新疆と外モンゴルが併合されたにもかかわらず、国務省からソ連への抗議はひとこともなかった一方、中国に軍隊を駐留させたために日本は非難された」。

 

クーベック博士の批評は、第二次世界大戦を通じて首尾一貫した政策を強調している。「ファシスト侵略」を強く非難する一方で、共産主義の侵略を・・制限なしに・・大目に見る。例えばドイツが1939年9月にポーランドを侵略したとき、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告した。だがソ連が同じ月にポーランドを侵略したとき、西側は・・あくびをした。

 

 日本は中国に侵入して共産主義に抵抗する権利がないと主張する者は、共産主義を止めることが国益であるとの原則に基づき、アメリカが世界各地に、ベトナムに、軍隊を送ったことを思いだそう。あの時、日本がすぐ近くで共産主義に抵抗することができなかったとすれば、どのような理屈によってであろうか?共産主義が日本にどれほど近づいていたのか地図を一瞥すると、あらゆる国を手順よく隷属させソ連を体現し、今や中国へと南向きに掘削していた。満州と中国に軍隊を送るにあたり、日本は自身の解釈のモンロー主義を実施していた。

 

ソビエトとしては、日本が中立化すれば共産主義がアジアを圧倒するとわかっており、日米間の戦争を望んでいた。1935年、モスクワのウィリアム・ブリット大使はコーデル・ハル国務長官に発信した。

「・・アメリカが日本との戦争に関与するようになることが、ソビエト政府の心からの希望である・・ソビエト連邦は、日本が徹底的に敗北するまで、間違いなく同盟国になることを避けようとするだろうし、そしてその後、単に満州を獲得し、中国を共産化する機会を利用するだけであろう」。

 

アメリカ共産党の創立メンバー、ベンジャミン・ギトロウは1940年 "I Confess" に書いた。
「私がモスクワにいた1927年、戦争に関して合衆国に対する姿勢について議論が行われた。個人的に、私が対話したソビエトの指導者はみな、米国と日本は実際に戦争に突入しなければならないと考えていた」。

 

 

英仏露の支援協定(その5)

 

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Foreign relations of the United States.1939.V1. | Hathi Trust Digital Library (p.266-269)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, June 5, 1939–7 p.m.
[Received June 5–5:47 p.m.]

本日午後、ボネは、仏政府への最新の提案を包含するソビエト政府の文書を私に提供した。第一段落は、任意の大国による直接攻撃が起こった場合には、仏国・英国・ソビエト政府は互いに軍事支援を行うとの共通の契約を含む。次の段落は、フィンランドエストニアラトビアポーランドルーマニア・トルコ・ギリシャ・ベルギーに対する「侵略」が起こった場合、三国は軍事行動を取らねばならない。文書の最後の段落は、この政治合意は、将来取り決められる軍事協定が英国・仏国・ソ連によって署名された後のみに有効となる、と規定する。


ボネとダラディエは、現在の形でのロシアの提案はふたつの理由によって受け入れられないと感じている。

(1)国家が万一攻撃され、かつ支援が要請された場合のみに支援は提供される、と定めた英仏の草案の規定をロシアは削除した。
ここで彼は、ソビエト政府がエストニア政府に送った文書と、エストニア政府がソビエト政府に送った回答のコピーを私に手渡した。エストニアへのソビエト文書には、エストニアの政治的・軍事的・経済的な性質の特殊な特権を任意の大国が得ることの阻止はソビエトの重要な関心事であり、「束縛なくとも強要であっても」万一そのような特権を任意の大国に与えることがあれば、エストニア政府が支援を要請したかどうかにかかわらず、ソビエト政府はそのような「侵略」に対抗せねばならないであろう、と書かれていた。(エストニア政府からの回答文書には、エストニアに対する侵略があったかどうかを判断する唯一の権利はエストニア政府が保持する、と書かれていた。)

 

ソ連政府からエストニアへの当文書に鑑みると、ソ連政府から英仏への提案における「侵略」という言葉は不吉な様相を帯びる、とボネは続けて述べた。その国は侵略と考えなかったとしてもソビエトが侵略とみなすと決めると、仏国政府と英国政府は、ソビエトが侵略すると決めた国へのソビエトの侵略を支援せねばならないであろうから、フィンランドエストニアラトビアポーランド・トルコへの軍隊の派遣を、どんな時でもソビエトが決めるべきであるという意味に解釈することができる。言い換えるとソビエトの提案は、英仏が承諾し支持するソビエト文書という名目でソビエトが国を侵略するための、白紙委任を意味する。
東欧にボルシェビキの政策を拡大するための支持をソビエトに与えることには、英仏はもちろん同意できない。

さらに英仏の道徳的立場は国民の自由の擁護に基づいている。ソビエトの提案を受け入れるということは、文書に記載されたとの名目で、諸国全体へのソビエト保護領の設置に同意することを意味するであろう。

 

(2)第二の異議は、あらゆる外交慣習に反し、政治協定は軍事協定の署名に影響され左右されるけれども、その期限がまったく明示されていないということである。もし英仏がソ連が提案した政治協定に署名したならば、ソ連政府は英仏に、まったく賛成しかねる性質の軍事支援を要求するかもしれず、きっとそうするであろう。
将来の軍事協定の結論に影響される文書として提案された政治協定に署名することは、したがって、ロシア人が書き込むか書き込まないかを決めることができる白紙委任状に署名することであろう。


私がボネと一緒に居た際、ソ連の提案についての英国の見解を得るため、彼はフランスの駐ロンドン大使、チャールズ・コービンに電話をかけた。

コービンは今朝ハリファックス伯爵と面会したと答えたけれども、ハリファックスはまだチェンバレンにロシアの提案を見せておらず、彼は慌ただしくそれを読んだだけで専門家からの報告を受けていなかったので、明確なことは何も言えなかった。


ダラディエはソ連の駐パリ大使Suritz, Yakov Zakharovichと面会し、フランス政府はなおソ連の文書を検討しており正式な回答を用意していないと彼に述べた。けれども将来の軍事協定の締結に影響される政治協定のみならず、諸国を「侵略」から守るという名目でソ連軍による侵略を許すとの一節にもフランスは同意しないであろう、とボネは述べた。


仏国・英国・ポーランド間の政治合意については、ポーランドが政治的合意の即時決定を議論するよう英国に要求していないため、まだ進展していないとボネは述べた。彼はこれは理解できないし、この状況を明快にしようと試みるようにとの通知を今日受けたと述べた。彼はポーランドとの政治的・軍事的・財政的協定を近い将来に締結するよう英国を説得できることを願った。これは仏国とポーランド間の同様な協定の署名を可能にするであろう。


終わりに臨んで、現在の困難にもかかわらず、それでも英国・仏国・ソ連の間の協定は達成されるであろうと信じている、とボネは述べた。対露親善を成し遂げようとのドイツの努力について、進展がなかったことをドイツからの情報は示した、と彼は付け加えた。詳しい情報は、ドイツはポーランドや他国に対する今月の攻撃を考えていないことを示した。

 

 

ソビエトの中国支援

 

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Foreign relations of the United States.1937.V3. | Hathi Trust Digital Library (p.635-636)

ウィリアム・ブリット駐仏大使から国務長官

PARIS, October 23, 1937—1 p.m.
[Received 4 p.m.]

(前半省略)

Yvon Delbos[仏外務大臣]と会話した後、レオン・ブルム[仏副首相]と二人きりで夕食を取り、彼は仏領インドシナを通じて中国に軍需品を輸送することを禁止するフランスの決定を明らかにした。Delbosが言及した政府の主要メンバーによる小規模な会合で、昨日午後、再びこの問題を提起したとブルムは語った。少なくともブリュッセル会議までの間はインドシナを通じた発送は許可されるべきであると彼は提案した。フランス政府は発送の禁止を決めたと通知された、との日本政府と中国政府、両者の異議があった。ブルムが言うには、日本と中国に更に述べずとも現在向かっている全ての荷物は仏領インドシナを通過できるであろうとブルムは主張し、最終的に合意がなされた。


続けてブルムは、万一中国での戦争が長期化するならば、仏領インドシナは中国が軍需品を受け取ることができる経路の一つになることが明白であると述べた。これは、中国領土内の鉄道線路を日本が破壊することはほとんど確実で、仏領インドシナへの日本の攻撃につながるかもしれない。彼はシャム[タイ王国]が日本と協力する可能性にも言及した。


これはフランスを最もむき出しの立場に置くであろうし、もしブリュッセル会議が、すべての代表国が能力に応じて軍需品を中国に供給し、インドシナを経由する経路を開いたままにすることをフランスに推奨すると結論するのであれば、日本の攻撃が起こった場合にはインドシナの防衛からフランスを一人にしない、と同時に約束することが不可欠であろう、とブルムは続けて述べた。もし英国、仏国、ソ連、米国が結束して強硬な措置をとるなら、日本がいずれかを攻撃しても何も危険はないであろうと信じていると彼は付け加えた。しかしながら彼は、ソ連の立場について極めて懐疑的であると述べた。最近彼は、ジュネーブで、リトビノフと多くの話し合いをしていた。リトビノフは古くからの友人として率直に彼に語った。リトビノフは、彼もソ連も、日本が中国を攻撃したことを本当に喜んだと語った。日本は財政的にも経済的にも弱体化し、攻略した中国を消化するのに莫大な困難を抱えることになるので、ソ連は今やこの先何年にも渡って極東の平和を完全に確保することができる、と彼は信じた。ソ連は、支那事変ができるだけ長く続くことと、できるだけ多くの中国を飲み込もうと日本が試みることを望んでいる、とリトビノフは付け加えた。これは欧州での活動のためにソ連を自由にするであろう。


日本の究極の目標はウラジオストクを占領しバイカル湖に国境を設置することなので、日本による中国の征服を阻止することはソ連の重要な関心事であるとリトビノフと議論した、とブルムは述べた。
リトビノフはこれを笑ったので、支那事変がどれほど長く持続しようとも、日本がどれほど中国を征服しようとも、ソビエト連邦は受け身のままであろう。中国に攻撃する前は日本が最も敵対的でいまいましかったのに反し、今日では日本人は皆、ソ連政府との関わりにおいて礼儀正しく胡麻を摺る、とリトビノフは述べた。
現在の強固な姿勢は、フランスは仏領インドシナを通じた中国への輸送を禁止したと日本と中国双方に通知しながら、実際にはこれらの輸送はブリュッセル会議で議論されるまで続くように思われる。


私はブルムに、ブリュッセル会議で達成されるかもしれないと考える事柄について尋ねた。長い沈黙の後に彼は、アメリカが仏領インドシナと蘭領東インドを軍事力で保証する気にならなければ何も成し遂げることはできないと思うと述べた。
もし国務省が、インドシナを通じる輸送についてなんらかの明確な方針を採ることを私に望むのであれば指示を送っていただきたい。私は質問を厳に自制し意見を表明しなかった。

 

 

 

Foreign relations of the United States.1938.V3. | Hathi Trust Digital Library (p.164-165)

ウィリアム・ブリットから国務長官

PARIS, May 9, 1938—8 p. m.
[Received May 10—7:45 a. m.]

昨日、立法院院長の孫科と二人きりで昼食をとり、長い会話の中で次のように述べた。
少なくとももう一年、中国は日本に抵抗し続けることができると彼は確信していた。イギリスで調停の協議があった。彼は、現在のところ調停の提案は成功する見込みはないと考えていたけれども、十二か月が経過するまでには英国と米国に対して調停を求めているような難しさに日本人は気がつくであろうと予想した。

 

長い英国訪問の結果、英国は、日本が中国を圧倒することを望まない一方、日本の敗北がソ連による中国支配を意味することを恐れて日本が敗北することも望んでいない、との印象を彼は抱いた。彼は、中国共産党の指導者達は今や全く忠実に蒋介石と協力していると断言し、中国の共産党員は中国の愛国が第一であり共産主義は第二であるとの見解を表明した。中国には共産主義の危険はなかった。


ロシアは中国に、現在までおよそ一億五千万中国ドルの軍需品を供給した、と語った。彼らはこれらの購入に対する支払いを中国に要求しておらず、それどころか中国がそれらの支払いを約束するよりも早く軍需品の一部を出荷した。新疆を横切る道路は冬の間、雪掻き部隊によって開かれていた。ビルマから中国内陸部の道上には十七万五千の苦力がおり、二か月以内にその道は軽いものを背負って運搬するだけでなく、トラックで飛行機や重い大砲を運ぶこともできる、と彼は請け合った。


現在のところ政府の主な悩みは通貨の状態であると孫科は述べた。中国は軍需品の購入のために資金を必要としなかったれども、通貨安定借款や中国通貨の安定化のための他の形での支援は計り知れない助けになるであろう。この目的のため、合衆国政府、あるいは民間のアメリカ財界から、援助を得る可能性が中国政府にあると思うだろうか、と彼は私に尋ねた。信頼できる回答を与えるためにその主題に十分に精通しているふりをすることはできない、と私は彼に言ったけれども、私の明確な印象では合衆国政府はこの目的のために使用できる資金がなく、民間の銀行が関心を持つ可能性は低いと思われた。


孫科は明日モスクワを経由して中国へ向かう。最近モスクワを訪れた折の、スターリンとの六時間の会談について彼は詳しく説明した。彼は述べた・・スターリンは彼にわかっていると請け合った。中国は自国の戦いだけでなくロシアの戦争をも戦っていること。バイカル湖までのシベリア全域を占領することが日本の究極の目標であること。中国が軍需品・飛行機・その他の物資の形でロシアからあらゆる可能な支援を引き続き受領し続けるであろうこと。しかしながらソビエト連邦は軍事的に戦争に介入することはないであろうこと。

もしソ連が日本と戦争になればドイツがソ連を攻撃するかもしれないとスターリンは懸念していた。ソビエト連邦によって日本が破壊されることを英国も米国も許さないであろうともスターリンは思った。