コミンテルン第七回大会・初日

 

ソ連大使ウィリアム・C・ブリットの、1935年7月26日付報告の翻訳です。

Foreign relations of the United States. The Soviet Union, 1933-1939.(p.228~229)

機械翻訳を利用した個人的な訳ですので誤訳によって生じた損害の責めは負いかねます。おおよその内容を把握するためのものとしてご利用ください。

 

 

昨晩、コミンテルン世界大会が開催された。その会議はドイツ人のヴィルヘルム・ピークによって開始された。42人の常任幹部会が満場一致で選出された。それには米国市民のアール・ブラウダーとウィリアム・Z・フォスターが含まれていた。幹部に選出されたソ連の対象者は、スターリン、ドミトリー・マヌイリスキー、オシップ・ピアトニツキー。


現在投獄されているドイツ人共産主義者のエルンスト・テールマンは大会の名誉議長に選出された。次に米国市民のシャーマン [訳注:John Loomis Shermanか?] を含む18人の資格審査委員と、米国市民の可能性があるジャクソンを含めた11人の編集委員が選出された。それからコミンテルン執行委員会の総会で以下の議題が提案され、全会一致で承認された。

 

1.コミンテルン執行委員会の活動報告。ヴィルヘルム・ピーク同志の演説。
2.コミンテルン統制委員会の業務報告。
3.ファシズムの発達とファシズムに抗する労働者階級の統一のための闘争におけるコミンテルンの問題点。ディミトロフ同志の演説。
4.帝国主義者による新世界大戦の準備についての共産主義インターナショナルの問題。エル・コリ(パルミーロ・トリアッティ)同志の演説。
5.ソビエト連邦における社会主義の勝利とその普遍的な歴史的意味。マヌイリスキー同志の演説。
6.コミンテルン指導機関の選挙。


大会、およびソ連の全新聞の論評の基調は「反ファシズム統一戦線」である。

 

ヴィルヘルム・ピークの基調演説で注目すべき箇所は次の通り。

「議会主義や民主主義の自由の名残がまだ残っている国々では、資本主義システムの激しい圧迫にもかかわらず、プロレタリアートは、自らを組織化し、階級の利益を公然と弁護することについて、確かな、あるいは弱々しいとはいえ、可能性を持っている。ファシスト独裁が至上である国々では、プロレタリアートは、より重要性の低い諸権利や、その階級の利益を法的に守る可能性すら剥奪されている」

 

「したがって、あらゆる民主主義的自由のために、あらゆる手段でブルジョワ民主主義の原理に忠実であり続ける人々と共に、この自由を拡大するため、この原理に基づき人間による人間の搾取を破壊する真のプロレタリア民主主義のための闘争を続けるため、我々共産主義者は全力で奮闘している。ブルジョワ民主主義の真の擁護者と共に、我々は、議会主義と民主主義の残骸をファシズムから守り、プロレタリア民主主義のために戦う準備ができている」


「もしドイツのファシズムが、現在のヨーロッパで独立している少数民族の国家的独立と統一に反する試みをなせば、この攻撃に対するこれら国々に固有のブルジョワジーの防衛は、プロレタリアート共産主義者とが参加せざるを得ず、まさしく戦争になるだろう」


「この7年の間、我々は、大規模なストライキ運動を見てきたし、その発展と統制に大きな役割を果たしてきた。この7年間、ブルジョワジーに対する政治闘争の中でプロレタリアートはしばしば立ち上がってきた」


「ドイツ労働者の勇敢な闘争を忘れるな(拍手)。デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン巡洋艦の暴動を忘れるな。英海軍の水兵のストライキを忘れるな。アメリカ退役軍人の運動を忘れるな。ポーランドの農民一揆と大規模な政治ストを忘れるな。オーストリアとスペインのプロレタリアートファシズムに対する歴史的な戦いを忘れるな。中国赤軍の戦いは、蒋介石政権の国家的恥辱と裏切りに対する、多数の運動を反映していることを忘れるな(拍手)」

 

先に引用した「ボーナス行進」への言及と、常任幹部会や委員会に名前が挙げられたアメリカ人の当選以外には、アメリカへの言及もアメリカ人への言及もなかった。大会への論評の中でプラウダが「この集会場では、プロレタリア連帯、革命的団結、共産主義の高い目標が、フランス人、ドイツ人、中国人、日本人、ロシア人、イギリス人、黒人の一つの偉大な家族に統合されていた」と述べて「アメリカ人」の語を慎重に避けたことは注目に値する。